冠岳(読み)かんむりだけ

日本歴史地名大系 「冠岳」の解説

冠岳
かんむりだけ

串木野市と川内せんだい市の境にまたがってそびえ、西にし岳・なか岳・ひがし岳の三峰がある。最高点は西岳の標高五一六・四メートル。古来、信仰の山であり、三峰それぞれに西宮・中宮・東宮とよばれる熊野権現社が勧請され、あわせて冠岳三所権現(現冠嶽神社)と称した。本地仏は西宮が千手観音、中宮が薬師如来、東宮が阿弥陀如来別当寺頂峰ちようぼう院で東宮の傍らにあった。このほかに西岳に霊山りようぜん(霊山院)三岳の途中に白山権現大岩戸おおいわと権現・材木岳ざいもくだけ権現などもあった(三国名勝図会)

寿永二年(一一八三)八月、地頭掾大前宿禰は成賀を東谷(東岳をさすか)山主職に補任することを冠武(冠岳)住僧らに告げている(同年八月日「地頭大前某下文」冠岳頂峰院文書、以下断りのない限り同文書)。寛元四年(一二四六)惣地頭兼郷地頭代某は先達延慶に対し、冠岳権現領の薩摩郡内成永名内せりか野・太郎丸名内那良原・若松わかまつ名内加治妻迫・富永名内川骨山常荒の所役を免除している(同年二月八日惣地頭所下文)。正応元年(一二八八)一二月日の権現領坪付には大牟田・数余木・鴾田々各一町が記される。同五年一〇月二七日には、薩摩国の宗たる寺社の一つとして異国(蒙古)降伏祈祷を命じられている(同年一二月二一日島津忠宗施行状)。永仁五年(一二九七)には神領田畠山野等に対して領家方地利物以下の所役免除がなされた(同年一〇月二八日大江景遠・沙弥道意・又六奉免状)。正平二一年(一三六六)入来院重門が近辺での合戦勝利祈願のため冠岳院主に対して数余木など二町を寄進し、山中における地頭の妨げを禁止している(同年九月二日入来院重門寄進状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「冠岳」の解説

冠岳

(鹿児島県いちき串木野市)
かごしま よかとこ100選 浪漫の旅指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の冠岳の言及

【串木野[市]】より

…鹿児島本線や国道3号線に沿い,鹿児島市への交通の便はよく,また東シナ海に浮かぶ甑(こしき)島列島への定期船の起点である。北東境にある冠岳(516m)は,秦の始皇帝の臣徐福が不老不死の仙薬を求めてここまで来て冠を捧げた所といわれる。海食地形の発達する長崎鼻や7月末に行われる串木野さのさ祭などが観光の中心である。…

※「冠岳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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