内藤政峻(読み)ないとう まさみち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤政峻」の解説

内藤政峻 ないとう-まさみち

1778-1822 江戸時代後期の大名
安永7年1月29日生まれ。日向(ひゅうが)(宮崎県)延岡(のべおか)藩主内藤政陽(まさあき)の3男。内藤学文(さとふみ)の養子となり,寛政6年三河(愛知県)挙母(ころも)藩主内藤家3代。財政難のため倹約令をだした。藩校崇化館を温文館とあらため,藩士系譜「寛政の記録」を編修させた。文政5年6月20日死去。45歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android