内田百閒(読み)ウチダヒャッケン

デジタル大辞泉 「内田百閒」の意味・読み・例文・類語

うちだ‐ひゃっけん〔‐ヒヤクケン〕【内田百閒】

[1889~1971]小説家随筆家岡山の生まれ。本名、栄造。別号百鬼園夏目漱石に師事し、風刺ユーモアに富む独特な作風を示した。著に小説集「冥途」、随筆集「百鬼園随筆」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内田百閒」の意味・わかりやすい解説

内田百閒
うちだひゃっけん
(1889―1971)

小説家、随筆家。1935年(昭和10)ごろまでは百の号を用いた。別号百鬼園(ひゃっきえん)。明治22年5月29日、岡山市古京(ふるぎょう)町(現中区)の造酒屋(つくりざかや)のひとり息子として生まれる。本名栄造。岡山中学時代、夏目漱石(そうせき)に私淑(ししゅく)し、雪隠(せっちん)、流石(りゅうせき)の筆名で『文章世界』などに投稿した。旧制六高時代には志田素琴(そきん)に俳句を学び、『校友会会誌』に百間の号で発表した。1910年(明治43)東京帝国大学独文科に入学、翌年から漱石門下生となり、森田草平(そうへい)、鈴木三重吉(みえきち)らとの交友が始まる。1916年陸軍士官学校教官、翌々年から、海軍機関学校教官を兼務。1920年法政大学教授。漱石の『夢十夜』を継承発展させた『冥途(めいど)』(1917)を発表して文壇に登場、小説的な随筆集『百鬼園隨筆』(1933)によって多数の読者を獲得した。全国各地への無用の列車旅行をつづった『阿房(あほう)列車』(1952)、飼い猫への異様な執心を吐露した『ノラや』(1957)など多彩な随筆がある。昭和46年4月20日没。

[酒井英行]

『『内田百全集』全10巻(1971~73・講談社)』『『百鬼園隨筆』『阿房列車』(旺文社文庫)』『平山三郎著『詩琴酒の人 百鬼園物語』(1979・小沢書店)』『平山三郎著『わが百鬼園先生』(1979・六興出版)』


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田百閒」の解説

内田百閒 うちだ-ひゃっけん

1889-1971 大正-昭和時代の小説家,随筆家。
明治22年5月29日生まれ。夏目漱石(そうせき)門下となり,「漱石全集」を編集。大正11年「冥途(めいど)」で文壇に登場,独特のユーモアと風刺にとむ「百鬼園随筆」で注目された。ほか紀行「阿房(あほう)列車」,日記「東京焼尽」など。昭和46年4月20日死去。81歳。岡山県出身。東京帝大卒。本名は栄造。別号に百鬼園。
格言など】世の中に人の来るこそうれしけれとはいうもののお前ではなし(自宅玄関先にかかげたもの)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内田百閒」の意味・わかりやすい解説

内田百閒
うちだひゃっけん

[生]1889.5.29. 岡山
[没]1971.4.20. 東京
小説家,随筆家。本名,栄造。別号,百鬼園。第六高等学校を経て 1914年東京大学独文科卒業。陸軍士官学校などにドイツ語教官として勤務,34年から文筆業に入った。若くして夏目漱石門下に入り,小説家としては大成しなかったが,一種の精神的美食家として知られ,ユーモアと俳味に富む唯美主義的な随筆に独特の味わいを発揮した。代表作『百鬼園随筆』 (1933) ,紀行『阿房列車』 (54) 。『内田百 閒全集』 (10巻,72) がある。

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