兵庫(県)(読み)ひょうご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「兵庫(県)」の意味・わかりやすい解説

兵庫(県)
ひょうご

近畿地方の西部に位置し、東は大阪府、京都府、西は岡山県、鳥取県に接する。県域は日本海から太平洋に及び、南北169キロメートル、東西111キロメートルに達している。面積は8401.02平方キロメートルで全国の2.2%、第12位にあたる。日本標準時を示す東経135度の標準時子午線は明石(あかし)市天文科学館を通り、西脇(にしわき)市、豊岡(とよおか)市などを通過している。淡路(あわじ)、播磨(はりま)、但馬(たじま)の3国全域と摂津(せっつ)・丹波(たんば)の各一部、美作(みまさか)の極小部から成り立っている。県南には神戸港、大阪国際空港など海外に開かれた交通の拠点があり、阪神工業地帯がある。県の内陸部には高原、盆地が分布し、広い林地がある。県北は冬季積雪が多いが、水産業が活発に行われている。県庁所在地は神戸市。

 県発足当時の1876年(明治9)の人口は約137万人であったが、明治末には200万人を超え、第1回国勢調査の行われた1920年(大正9)には約230万人になった。第二次世界大戦の終わった1945年(昭和20)の人口は280万人でその5年前に比べると約40万人の減少をみたが、1949年には回復した。2005年(平成17)の人口は559万0601(全国第8位)で1876年の約4倍に増加している。阪神間7都市、神戸、芦屋(あしや)、西宮(にしのみや)、尼崎(あまがさき)、伊丹(いたみ)、川西(かわにし)、宝塚の面積は県総面積の約10.8%であるが、ここに県総人口の約57%が集中している。それに反し、但馬、丹波、淡路や、播磨の内陸部では過疎現象もおきている。2020年(令和2)時点で、28市8郡12町からなる。人口546万5002人。

 国際港都神戸を控え、兵庫県在留の外国人は11万1940人(2021)を数える。うち韓国人がもっとも多く、3万6354人、ついでベトナム人が2万3358人、中国人が2万1804人となっている。欧米人のなかではアメリカ人が2136人でもっとも多い。なお、開港時に外国人居留地を神戸に設けるにあたり主力となったイギリス人は603人である。

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自然

地形

中国山地の延長が県の中央部よりやや北寄りに東西に走り、播但山地(ばんたんさんち)と丹波高地となっている。この山地を分水嶺(ぶんすいれい)として北に円山(まるやま)川、矢田(やた)川が山陰地方を潤して日本海に注いでいる。また南では明石川、加古(かこ)川、市(いち)川、夢前(ゆめさき)川、揖保(いぼ)川などが瀬戸内海に注いでいる。北部には東西に連なって氷ノ山(ひょうのせん)(1510メートル)、鉢伏山(はちぶせやま)(1221メートル)などの火山がそびえる。一帯は自然林と渓谷美に恵まれ、氷ノ山後山那岐山国定公園(ひょうのせんうしろやまなぎさんこくていこうえん)の一部となっている。丹後半島から鳥取砂丘までの日本海岸は海の際まで山地が迫り、入り江、岩礁、洞門(どうもん)、洞窟(どうくつ)、岩壁、砂浜など変化に富んだ地形が連続し、山陰海岸国立公園に指定されている。国の天然記念物に指定されている但馬御火浦(みほのうら)、香住(かすみ)海岸はとくに景勝地として知られ、海域公園もある。

 瀬戸内側では明石海峡を隔てて淡路島があり、その東は大阪湾、西は播磨灘(なだ)、鳴門(なると)海峡、南は紀伊水道に面している。播磨灘沿岸には、相生(あいおい)湾、坂越(さこし)湾、赤穂(あこう)湾などの小湾入がある。淡路島は瀬戸内最大の島で、東、西、南に断層海岸があり、島の地形、地質ともに六甲山地(ろっこうさんち)の続きをなしている。明石海峡大橋と大鳴門橋(おおなるときょう)架橋により、本州、淡路、四国の連絡が完成した。沿岸の一部は瀬戸内海国立公園に指定されている。第二次世界大戦後、阪神、播磨の海岸の至る所に埋立地が造成され、工業用地、住宅用地に利用されるようになり、自然海岸を失った地域も少なくない。そのなかで、神戸港ポートアイランド六甲アイランドなどは最大の規模の人工島である。

 兵庫県の地質は複雑で、秩父中・古生層、中生層、第三紀層などに分類される。秩父中・古生層は但馬南部、丹波北部、中部播磨に、中生層は但馬・播磨の北部、篠山(ささやま)盆地、淡路南部などに分布している。第三紀層は播磨の東と摂津の南、但馬中部に分布する。六甲山地や但馬の北部や中部、淡路島北部などに花崗(かこう)岩の分布があり、風化が進んでいる。

 県立自然公園には、猪名(いな)川渓谷、清水東条湖立杭(きよみずとうじょうこたちくい)、多紀連山、朝来群山(あさごぐんざん)、音水(おんずい)ちくさ、西播(せいばん)丘陵、但馬山岳、出石糸井(いずしいとい)、播磨中部丘陵、雪彦峰山(せっぴこみねやま)、笠形山千ヶ峰(かさがたやませんがみね)の11がある。

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気候

県北の但馬地方は冬には北からの季節風がもたらす影響で、曇りの日が多く多雪である。豊岡(とよおか)市の2002年(平成14)の降雪日数は年間38日、霧の日は77日、年降水量は2048ミリメートルと記録されている。中部の山間地帯では内陸性の冬の低温、夏の高温が特色である。播磨の内陸部などでは霧の発生することが多い。県南地方は夏高温で、冬快晴の多い温和な瀬戸内式気候で、雨が少ないため早くから農耕用水の溜池(ためいけ)が開かれた。姫路市の年平均気温は15.2℃、年降水量は1190ミリメートル(1981~2010)。黒潮の影響を受ける淡路島の南岸では冬も温暖で、スイセンナノハナも咲き乱れる内海性気候である。

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歴史

先史・古代

先史時代の遺跡は県下各地に発見されるが、縄文式土器のもっとも古いものは香美(かみ)町のタツが平(なる)遺跡で出土している。縄文前期のものとしては、神戸市垂水(たるみ)区西舞子(にしまいこ)の大歳山(おおとしやま)遺跡があり、1万近くの石器および弥生(やよい)時代の住居跡が保存されている。縄文後期のものでは神戸市西区の元住吉山遺跡があり、石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)が多い。兵庫県には高地性遺跡として芦屋(あしや)市の会下山(えげのやま)、城山(しろやま)や神戸市東灘(ひがしなだ)区の保久良(ほくら)神社の遺跡があるが、なかでも弥生後期の典型的な遺跡として神戸市灘区の桜ヶ丘遺跡がある。ここでは1964年(昭和39)に銅鐸(どうたく)14点、銅戈(どうか)7点が出土した。県下にはその他の遺跡からの出土も多く、兵庫県は銅鐸文化の中心地とみなされる。弥生後期では1965年に発掘された田能遺跡(たのういせき)(尼崎(あまがさき)市)がある。弥生土器が主体で、当時の生活様式を知る重要な遺跡である。また県下には多くの古墳がみいだされる。条里遺構は川辺(かわべ)郡の猪名(いな)川、武庫(むこ)川の平野、明石川、揖保(いぼ)川流域のほか但馬(たじま)の河岸平野でも確かめられている。

 古代から海上交通の基地となったのは、東から河尻(かわしり)(尼崎市)、大輪田(おおわだ)(神戸市)、魚住(うおずみ)(明石市)、韓(から)(姫路市)、檉生(むろう)(たつの市御津(みつ)町室津(むろつ))の五泊で、各港の間はそれぞれ約1日の行程であった。741年(天平13)全国に国分寺・国分尼寺が配置建立されたが、兵庫県下では、播磨国分寺・播磨国分尼寺、淡路国分寺、但馬国分寺、但馬国分尼寺が置かれた。現在に至るまで法燈(ほうとう)を伝えているのは、播磨国分寺(姫路市、国の史跡)で、天正(てんしょう)年間(1573~1592)に兵火にあったが、現在、高野山真言(こうやさんしんごん)宗の牛堂山(うしどうざん)国分寺と号している。こうして県下には飛鳥(あすか)、奈良時代の仏教文化が早くから伝えられたが、平安末期ごろからは播磨を中心に寺院の創建、あるいはそれ以前に建造されていた堂宇の再建などが進められた。太山(たいさん)寺(神戸市)、鶴林(かくりん)寺(加古川市)、斑鳩(はんきゅう)寺(太子町)、浄土寺(小野市)、一条寺(加西(かさい)市)などがそれで、堂塔は国の重要文化財に指定されたものが多く、仏教文化の隆盛を伝えている。

 律令(りつりょう)体制の崩壊する平安末期には、主要荘園(しょうえん)は寺社領となった。598年(推古天皇6)播磨揖保郡鵤荘(いかるがのしょう)(太子町)は法隆寺領となったが、当時の荘園の範囲を示す牓示(ぼうじ)石が現在も保存されている。また、摂津川辺郡猪名荘(尼崎市)や播磨加東(かとう)郡大部(おおべ)荘(小野市)は東大寺領となり、重源(ちょうげん)により小野に浄土寺が建てられた。丹波多紀(たき)郡大山荘(篠山(ささやま)市)や播磨国矢野荘(相生(あいおい)市)は東寺領、揖保郡福井(ふくい)荘(姫路市)は神護寺領となった。その後、武家の手に渡る寺領もあり、県下では源満仲(みつなか)など多田源氏が摂津国多田荘を領有した。また、播磨守(はりまのかみ)に任ぜられた平清盛(きよもり)は、摂津福原(ふくわら)荘などを所領した。清盛は大輪田泊(おおわだのとまり)に経ヶ島を築き、日宋(にっそう)貿易の拠点とした。さらに港の背後に福原京の建設を構想したが、1181年(治承5)に六波羅(ろくはら)で死去し、実現しなかった。一ノ谷の戦いなどで源氏に敗れた平氏は壇ノ浦の戦いで滅亡した。

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中世

南北朝時代の1336年(延元1・建武3)楠木(くすのき)氏と足利(あしかが)氏は湊川(みなとがわ)(神戸市)を舞台に戦い、楠木正成(まさしげ)はこの地で戦死した。

 南北朝時代から室町時代にかけて、但馬は山名(やまな)氏、播磨は赤松氏、また淡路・摂津・丹波は細川氏が守護として領地を支配したが、戦国時代にはこのほか播磨に小寺(こでら)、別所(べっしょ)、浦上の各氏、丹波に波多野(はたの)氏、淡路に三好(みよし)氏らがあってそれぞれ勢力を振るった。1577年(天正5)羽柴(はしば)秀吉は播磨の姫路城に入り、1580年には三木(みき)の別所長治(ながはる)を討ち、また但馬の山名氏を滅ぼした。一方、淡路の三好氏は、織田信長に降(くだ)った。

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近世

1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに功のあった池田輝政(てるまさ)が52万石(のち15万石)で姫路城に入った。池田氏がこの地に配されたのは西国(さいごく)一円の要(かなめ)の役割を果たすためであった。輝政は大天守、小天守、渡櫓(わたりやぐら)を備えた姫路城を完成させた。池田氏のあと、本多、結城(ゆうき)松平氏らの譜代(ふだい)大名が入封し、1749年(寛延2)には酒井氏が入り明治まで続いた。1742年(寛保2)城下には6632戸があったという。

 姫路藩のほか、幕藩体制下、播磨には明石藩6万石、龍野(たつの)藩5万3000石、赤穂(あこう)藩2万石のほか、小野、林田(はやしだ)、福本などの小藩、但馬には出石(いずし)藩5万8000石、豊岡藩3万5000石、村岡藩1万1000石、丹波には篠山(ささやま)藩5万石、柏原(かいばら)藩2万石、摂津に尼崎藩4万石、三田(さんだ)藩3万6000石があり、淡路は徳島藩領となった。

 江戸時代を通じて各藩は産業の振興を図った。江戸中期、摂津の伊丹(いたみ)、池田などに酒造がおこり、その後灘(なだ)の村々の酒造業の発達が目覚ましかった。1769年(明和6)尼崎藩領の西宮、兵庫の2町、灘の村々は天領となり、港は江戸送りの酒樽(さかだる)の舟運でにぎわった。このほか、播磨の姫路木綿、赤穂の塩業、龍野のしょうゆ、三木の金物、但馬豊岡の杞柳工業(きりゅうこうぎょう)、浜坂の縫い針などの産業が発達した。また、但馬地域は養蚕が盛んで、丹後の縮緬(ちりめん)機業地に原料を供給した。淡路ではかせ糸の生産が盛んであった。この間、大阪湾岸や播磨灘の一部は干拓され、水田、塩田が整備され、印南野(いなみの)その他の内陸原野は疎水・灌漑(かんがい)の水利事業が進み、水田が拡大した。

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近・現代

1871年(明治4)の廃藩置県で、兵庫、豊岡、姫路(のち飾磨(しかま)県)の3県が置かれた。1876年3県が統合し、名東(みょうどう)県に属していた淡路をあわせて兵庫県が成立した。1889年の市町村制施行時には2市(神戸、姫路)26町402村であったが、1953年(昭和28)の町村合併促進法によって町村合併が進み、1999年(平成11)には22市66町、2020年(令和2)10月段階では28市12町となっている。

 1886年神戸には外国人居留地が置かれ、外国人の手による貿易が行われた。運上所(現在の税関)が開かれ、外国商館・銀行が軒を連ねた。居留地は1899年に廃止され、日本独自の貿易が開始された。

 造船、鉄鋼、機械を基幹とする重工業地帯が生まれ、鉄道の普及が農村の開発を推し進めた。第二次世界大戦後は近代的技術による工業が県南部の沿岸地域に発達し、農村への工場の新設も進んだ。農業、水産業もまた近代化の道を進み、都市と農村との生活様式の格差が少なくなった。

 1995年(平成7)1月17日午前5時46分、「阪神・淡路大震災」(1995年2月14日閣議で呼称決定、気象庁命名は「兵庫県南部地震」)が発生した。震源は淡路島北東部の明石海峡で、震源の深さは16キロメートル、地下の活断層のずれによって生じた。この活断層の集中する淡路北から神戸、阪神地域に及ぶ六甲山地の南麓(なんろく)の扇状地は、マグニチュード7.3、最大震度7の直下型地震に襲われた。

 人口密集地では木造住宅の倒壊が著しく、鉄筋コンクリートのビルや高速道路の倒壊もおこった。神戸市兵庫区、長田区では大火災が発生した。地震による死者6434人、全・半壊家屋24万9180棟、焼失家屋7483棟(以上2005年12月消防庁発表)。淡路島北西岸では地表に断層変位が現れ、海岸地帯、ポートアイランド、六甲アイランドなどで激しい液状化現象がおこった。風化した花崗(かこう)岩質からなる六甲山地では、多くの箇所で岩石の崩落や土砂崩れがおこった。また水道、下水道、電気、電話、ガスなどのライフラインが寸断され、鉄道、道路は至る所損傷し、港湾施設が破壊された。被災者は直後、公的施設・広場などに避難したり他府県に移った。警察、自衛隊、ボランティアなど、かつてない大規模の救援活動が行われた。応急仮設住宅の建設数は、4万8300戸に達した。この地震によって兵庫県の産業に与えた損害は農林水産関係の諸施設で約1180億円、商工関係施設約6300億円、建築物1兆7700億円(1997年4月推計)に達した。兵庫県では震災復興本部を設置するなど、復興対策に努め、2000年には「阪神・淡路震災復興計画後期5か年推進プログラム」を策定した。

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産業

2000年(平成12)の兵庫県の産業別就業者数の比率は、第一次産業が1.4%で全国平均の約4分の1と低く、第二次、第三次産業の比率がやや高い。10年前に比べると第一次産業の減少、第三次産業の増加が目だつ。第二次産業就業人口の約28%が阪神地域に集中しているのは、阪神工業地帯の活力を示すもので、第三次産業就業人口の約37%が神戸市に集中しているのは、県庁所在地の神戸市が県下の行政機関や会社のオフィスなどの核心地であることを示している。

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農業

瀬戸内海に注ぐ河川の流域平野や丹波、但馬の盆地、平野などで水稲の栽培が盛んで、耕地面積の約90%が水田である。2002年(平成14)の県の水稲収穫高は全国の約2.3%の20万4500トンで、これは1972年(昭和47)に比べると約12万トンの減収であり、政府の減反政策を反映している。県内での米自給は困難なため、ほかからの移入を行っている。米以外の農作物のなかでは、淡路島を中心とするタマネギの生産が13万8100トン(2002)で全国第2位、またハクサイ、ピーマンの生産も多い。キュウリ、トマト、ホウレンソウダイコンなどは西播(せいばん)が、タマネギ、レタス、キャベツ、ハクサイ、花卉(かき)、柑橘(かんきつ)類は淡路島が、ナシ、タバコなどは但馬地方がそれぞれ中心となっている。丹波ではヤマノイモ、クロマメなどを特産し、都市近郊の農村では自動車交通の発達とともに花卉、野菜などの促成栽培が行われている。2002年の総農家数は11万2340戸、耕地面積は7万9700ヘクタールで、1戸当り耕地面積は約71アールとなり、全国平均157アールと比べて規模が小さい。販売農家数は7万5650戸で、このうち、専業農家は1万1400戸で約15%にすぎない。

 但馬牛、神戸牛で知られる良質の和牛は、兵庫県の高原地域や淡路島などで飼育されてきたが、現在は乳用牛も増加している。2003年の肉用牛飼育頭数は約6万2500頭で、その飼育法が念入りであることで知られる。乳用牛は約2万8300頭で全国第9位。ブタは約2万8900頭で、淡路島と但馬地方に多い。採卵鶏(さいらんけい)は587万3000羽で、飼育農家は但馬・丹波地域、淡路島に広く分布している。ブロイラーは約281万羽に達し、但馬地域に飼育農家が多い。

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林業

2000年(平成12)の林野面積は56万3600ヘクタールで、県の総面積の67%を占める。国有林はわずか5%、民有林が95%を占める。林家数は3万0758戸で、所有林5ヘクタール以下が約80%を占める。但馬・丹波地域には古くから美林が育ち、植物生育のための条件の悪い花崗(かこう)岩・流紋岩質の瀬戸内地方や雨量の少ない淡路では生産が少ない。但馬では古くからスギ、ヒノキの造林地が多く、沿岸や氷ノ山山系にアカマツが多い。この地域には製材工場も多い。丹波地域は天然のアカマツ林、ヒノキの林がある。丹波市ではヒノキ、スギの人工林と天然のアカマツなどがあり、マツタケの生育もよい。播磨では宍粟(しそう)、佐用(さよう)、飾磨(しかま)、多可(たか)の各地域などにスギ、ヒノキが多く、とくに姫路市安富(やすとみ)町地区はスギの挿木、造林、佐用町船越(ふなこし)地区は船越スギで知られる。

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水産業

兵庫県は日本海、瀬戸内海、太平洋(紀伊水道)の漁業海域に恵まれ、2000年(平成12)の漁業経営体数は4730、漁業従事者は約7080人である。瀬戸内海ではイカナゴ、シラス、タコ、マイワシなどのほかタイの漁獲に特色がある。日本海側ではスルメイカ、カレイ、マイワシ、ハタハタ、サバなどの漁獲があり、ズワイガニ(マツバガニ)は北海道に次ぐ生産をあげてきたが、1972年(昭和47)の約5000トンに対し、1983年には1300トンに減産したため、毎年放流を行い、保護育成が図られている。なお、2002年は1239トンであった。内水面漁業では揖保川、千種(ちくさ)川、加古川、円山川のアユ漁があり、円山川ではサケ、コイ、フナの放流が行われる。

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鉱業

2002年(平成14)の採掘鉱区数は47、試掘鉱区は5ある。歴史的鉱山の廃鉱が多いなかで、かつて多田源氏の財政を支えた川西市の多田銀山も鉱坑跡のみとなった。朝来(あさご)市の生野鉱山は807年(大同2)に発見され、織田・豊臣(とよとみ)時代には奉行(ぶぎょう)を、徳川時代には代官を置いて開発を進めた。錫(すず)、銅、亜鉛、銀、金、タングステンを産出したが、ついに1973年(昭和48)に閉山した。養父(やぶ)市から朝来市にわたる明延鉱山(あけのべこうざん)では全国の80%の錫を産出、朝来市の神子畑選鉱所(みこばたせんこうじょ)で精鉱し、生野精錬所で粗錫とされていたが、1987年に閉山した。

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工業

2006年(平成18)の県の製造業事業所数は1万0795で、阪神工業地帯の神戸地域にその20%、阪神南地域に約11%が集中し、鉄鋼、機械、食品、ゴムなどの工業が主体となっている。播磨工業地域のうち、東播地区は金属、繊維、機械、紙など、西播地区では皮革、機械、電子・デバイス、化学、食品、木材が主体となっている。2006年の県の製造品出荷額は14兆4550億円で、電気機械、一般機械が4分の1を占め、鉄鋼、化学、食料品がこれに次ぐ。

 酒造工業は阪神海岸の灘地域の伝統的な地場産業である。六甲山地南麓(なんろく)の扇状地末端部で湧出(ゆうしゅつ)する良質の水が醸造用水となり、また播州米、摂津米は酒造米に適し酒造業を推進させた。特殊な技術を伝える杜氏(とうじ)は丹波、但馬などから迎えられ、技術指導者の養成も行われた。また蔵(くら)の近代化は急速に進み、四季を通じて醸造が行われ、海外に支社が進出する例もある。

 造船業は1956年(昭和31)以来世界第1位の地位を保持し続け、神戸市の川崎重工業、三菱(みつびし)重工業、相生(あいおい)市の石川島播磨重工業(現、IHI)などの造船所が知られたが、現在は下降状態にある。一般機械、電気機器の工場は神戸、阪神地区に集中していたが、1950年代から広い敷地のある播磨地域へ移っている。また、交通の発達に伴い、豊富な労働力を求めて淡路島の洲本(すもと)、一宮(いちのみや)、東浦(ひがしうら)などに機械工場の下請企業が分布するようになった。

 そのほか、在来の工業としては、神戸市のマッチ、加古川・小野市のそろばん、小野・三木市の金物、西脇市の釣り針、篠山(ささやま)市の立杭焼(たちくいやき)、南あわじ市の珉平(みんぺい)焼、たつの市のしょうゆやそうめん、姫路市の皮革工業などが知られている。また、北摂の名塩(なじお)和紙は手仕事による伝統産業である。豊岡では江戸時代に広い商圏をもった柳行李(やなぎごうり)などの杞柳(きりゅう)工業から現在は鞄(かばん)工業に転じている。ビニル鞄の生産は全国の80%を占めている。

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貿易

神戸港の貿易額は1995年(平成7)には4兆3397億円で、阪神・淡路大震災の影響を受けて、1991年の54%にまで落ち込んだが、2003年は6兆3880億円と1991年の75%まで回復した。神戸港においては輸出が輸入の2倍以上と大きく上回っている。また、品目別にみると、輸出では、一般機械29.1%、電気機器21.5%、輸送機器9.1%と機械機器で59.7%を占め、化学製品11.8%、繊維・同製品9.5%の順である。輸入は食料品24.4%、機械機器20.7%、繊維製品14.4%、以下化学製品、原材料、金属・同製品の順となっている。地域別では、アジアが輸出の57.6%、輸入の52.1%を占めている。

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交通

神戸港は1867年(慶応3)の開港当初は小さな四つの波止場が設けられたにすぎなかった。1906年(明治39)から近代的港湾施設の建設が進み、以後、突堤の構築と海岸の埋立てなど順次港湾を拡大した。第二次世界大戦の結果、港湾施設を連合軍が接収したが、1959年(昭和34)までにすべて解除された。その後、摩耶埠頭(まやふとう)の造成をはじめ、諸施設の拡充が進められた。1981年には海上の人工島ポートアイランド(436ヘクタール)が完工し、1992年(平成4)には六甲アイランド(580ヘクタール)の埋立てが完工した。さらに、ポートアイランド(第二期)(390ヘクタール)の埋立てが進められ、その沖には神戸空港が建設され、2006年開港した。いずれも世界における貨物の海上輸送の近代化に対処する施設の整備を目ざすものである。これらの人工島中央部には多機能をもつ都市づくりが進められており、人工島と神戸の旧市街地との間には、日本最初の自動操縦による新交通システムが導入された。内国航路は四国・九州などへフェリーボートが就航している。大阪国際空港は大阪・兵庫の府県境に位置し、面積317万平方メートル。1994年には年々需要の高まった旅客・貨物便に対応するため、泉州沖の関西国際空港が開港した。1日の平均発着回数は487回(2017年現在)。

 鉄道は、大阪―神戸間の東海道線が1874年に開通し、ついで山陽鉄道(のちJR山陽本線)が1888年兵庫―明石間を走り、1891年には岡山に達した。1912年には山陰本線が完工し、国鉄(現、JR)としては、ついでこの二つの幹線を結ぶ播但線(ばんたんせん)、福知山線、加古川線、姫新線(きしんせん)が開通。その後、三木(みき)線(のち三木鉄道=2008年3月廃止)、北条線(現、北条鉄道)などが開通した。1972年、山陽新幹線の新大阪―岡山間が開業、県内に新神戸、西明石、姫路、相生(あいおい)の4駅が生まれた。私鉄は明治末に大阪―神戸間を走った阪神電鉄に始まり、ついで京阪神急行(現、阪急電鉄)宝塚線、神戸線、伊丹線などが開通、田園都市の発達を促した。昭和初期には国鉄線に並行して山陽電気鉄道の神戸―姫路間が開通した。1958年には、神戸市内に終着駅をもつ阪急、阪神、山陽、神戸各電鉄を神戸市街の地下で連結する神戸高速鉄道が完成した。1987年に神戸市営地下鉄(神戸市交通局)の新神戸駅―西神中央駅間が完工し、さらに西神・山手線(西神中央―新長田―新神戸間)、海岸線(新長田―三宮・花時計前間)も開通している。西部の新しい住宅、学園都市、流通センター、工業団地と都心を結ぶ動脈である。また新神戸駅から六甲山地を北に貫通し谷上駅に達する北神急行電鉄は1988年に開通した。1997年、尼崎駅と大阪環状線京橋を結ぶJR東西線が設けられ、阪神間と大阪都心との結合を便利にした。

 国道は、山陽道を東西に走る2号と内陸部から日本海沿岸へ向かう9号が基幹道路で、そのほか29号、173号、175号、176号などが山陰と山陽を結んでいる。また28号は淡路島を経由して四国と連絡している。1970年には名神高速道路、阪神高速道路が整備され、1975年には内陸部を縦貫する中国自動車道が、1997年には海岸寄りを走る山陽自動車道の本線が全線開通した。2003年には中国自動車道から分岐する舞鶴若狭自動車道(まいづるわかさじどうしゃどう)が福井県小浜市まで、山陽自動車道から分岐する播磨自動車道は播磨新宮インターチェンジまでが開通した。1985年、本州四国連絡橋神戸―鳴門ルートの大鳴門橋(淡路島門崎(とざき)―鳴門市孫崎間)が完成、さらに京・阪・神と四国を結び世界一長い吊橋(つりばし)となる明石海峡大橋(神戸市垂水(たるみ)区舞子(まいこ)―淡路市松帆(まつほ))が1998年に完工した。

[藤岡ひろ子]

社会・文化

教育文化

姫路藩には1749年(寛延2)に設置された藩校好古堂のほかに、1819年(文政2)につくられた仁寿山黌(じんじゅさんこう)がある。実学の精神を尊び、私学的要素をもっていた。仁寿山黌はのち好古堂に合併した。播磨ではほかに赤穂(あこう)藩の博文館、龍野(たつの)藩の敬学館。但馬では出石(いずし)藩の弘道(こうどう)館、摂津では三田(さんだ)藩の造士館、丹波では柏原(かいばら)藩の崇広館などがあり、江戸末期には18を数えた。2018年(平成30)現在、県下の大学は国立大学では神戸大学、兵庫教育大学、県立では兵庫県立大学、但馬技術大学校。ほかに海技大学校、港湾職業能力開発短期大学校がある。市立では神戸市外国語大学、神戸市看護大学がある。私学では神戸女学院大学、関西(かんせい)学院大学、武庫川(むこがわ)女子大学、甲南大学、甲南女子大学など35校がある。短期大学は私立が18校、高等専門学校は国立、公立が各1校ある。ほかに国立の神戸商船大学があったが2003年10月に神戸大学に統合された。

 神戸新聞社は1898年(明治31)に創刊の『神戸新聞』(発行部数56万)を発刊する。放送局はNHK神戸放送局、サンテレビジョン、ラジオ関西、兵庫エフエム放送(Kiss FM KOBE)、関西インターメディアのほか、FMコミュニティ放送が伊丹市や西宮市などにある。

[藤岡ひろ子]

生活文化

県下の民俗芸能は120を超える。淡路人形浄瑠璃(じょうるり)(国の重要無形民俗文化財)は享保(きょうほう)年間(1716~1736)には40座もあったといい、素朴な人形と義太夫(ぎだゆう)系の曲目に特色がある。農村歌舞伎(かぶき)は農山村の生活のなかに深く浸透し、かつては1000棟に上る舞台があった。養父(やぶ)市荒御霊(こうごりょう)神社境内の葛畑(かずらはた)の舞台、神戸市下谷上(しもたにがみ)の舞台、佐用町上三河(かみみかわ)の舞台などが残り、国の重要有形民俗文化財に指定されている。丹波篠山(たんばささやま)市黒岡の春日(かすが)神社の篠山春日能、新温泉(しんおんせん)町歌長神社の歌長大神楽(かぐら)、姫路市家島神社の獅子舞(ししまい)や丹波市青垣の翁三番叟(おきなさんばそう)(国の選択無形民俗文化財)なども由緒ある民俗芸能に数えられる。田楽(でんがく)の系統を伝えるものには三田市貴志御霊(きしごりょう)神社や加東(かとう)市上鴨川住吉(かみかもがわすみよし)神社の神事舞(国の重要無形民俗文化財)がある。農事にちなむざんざか踊りは北但馬地方に多く、養父市大屋町大杉のざんざこ踊は国の選択無形民俗文化財。ちゃんちゃこ踊りは宍粟(しそう)市に多い太鼓(たいこ)踊り。雨乞(ご)い踊りには、阿万(あま)(南あわじ市)の風流大踊小踊(国指定重要無形民俗文化財)、丹波・東播磨地方の百石(ひゃっこく)踊りがある。また新温泉町の但馬久谷(たじまくたに)の菖蒲(しょうぶ)網引き、神戸市須磨区車大歳神社の翁舞も国の重要無形民俗文化財。

 兵庫県の祭事や行事を、月ごとに追っていくと、1月の西宮戎(えびす)(西宮市)、東光寺(加西市)の鬼会(国の重要無形民俗文化財)、2月の長田(ながた)神社(神戸市)の追儺(ついな)、3月の長福(ちょうふく)寺(神戸市)の十三参り、4月は柿本(かきのもと)神社(明石市)の勧学祭、5月の神戸まつり、ペーロン祭(相生市)、旧暦7月の関帝廟(かんていびょう)(神戸市)の施餓飢(せがき)、8月の海上傘踊り(新温泉町)、10月の海(かい)神社(神戸市)の海上渡御(とぎょ)、坂越(さごし)(赤穂市)の船祭(重要無形民俗文化財)、11月の広済(こうさい)寺(尼崎市)の近松祭、12月の義士祭(赤穂市)などがあげられる。

[藤岡ひろ子]

文化財

兵庫県の国や県、市町指定の文化財は1500件を超え、まさに文化遺産の宝庫である。また、埋蔵文化財包蔵地として確認されているものも1万5000か所にわたっている。そのうち、姫路城は1993年(平成5)ユネスコの世界遺産のリストに、「文化遺産」として登録された。建築物のうち、国宝に指定されているものに次のものがある。藤原時代の遺構としては加古川市の鶴林寺(かくりんじ)太子堂があり、加西市の一乗寺三重塔も堂々たる水煙をもつ相輪(そうりん)に平安末期の手法が伝えられている。鎌倉時代では、大仏様建築の典型を示す小野市浄土寺浄土堂(阿弥陀(あみだ)堂)、天台宗形式の神戸市太山寺(たいさんじ)本堂がある。室町時代のものに加東市の朝光寺本堂、鶴林寺本堂がある。江戸時代では姫路城の壮大な大天守と三つの小天守などが国宝に指定されている。このほか、三木市東光寺本堂、神戸市石峯寺(しゃくぶじ)三重塔、姫路市円教寺(えんきょうじ)の諸堂、たつの市新宮町宮内(しんぐうちょうみやうち)の天満神社本殿、太子町斑鳩寺(はんきゅうじ)三重塔、宝塚市波豆八幡神社(はずはちまんじんじゃ)本殿などが国の重要文化財に指定されている。神戸市の旧居留地の十五番館は商館の唯一の遺構で国指定重要文化財。山手地域には開港後建てられた外国人住宅約30戸が保存され、その一帯は「神戸市北野町山本通」として国の重要伝統的建物群保存地区に指定されている。旧ハッサム邸、旧トーマス邸、旧ハンター邸などの明治建築がある。民家建築としては、神戸市の室町時代の建造と伝えられる箱木千年(はこぎせんねん)家、たつの市揖保川町地区の大地主だった広大な永富家住宅(江戸末期)、芦屋市の旧山邑家住宅(大正期)などが国指定重要文化財。

 美術工芸品では、「絹本着色聖徳太子及天台高僧像」(一乗寺)、木造阿弥陀如来(にょらい)及両脇侍(きょうじ)立像(浄土寺)などや、神戸市灘区桜ヶ丘出土の銅鐸(どうたく)・銅戈(どうか)15点が、国宝に指定されている。

[藤岡ひろ子]

伝説

古くは『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』をはじめ、『播磨鑑(かがみ)』『播磨巡覧記』など、書誌に載る伝説はすこぶる多い。神戸市六甲山麓石屋川西岸はかつての菟原(うばら)郡の地で、処女(おとめ)塚、求女(もとめ)塚があり、「菟原処女(うないおとめ)」をめぐる菟原男(うばらのおとこ)と茅渟男(ちぬのおとこ)との妻問いの悲劇を物語る。処女塚の付近にある本住吉神社は、神功(じんぐう)皇后が守護の神々を祀(まつ)った社(やしろ)という。周辺には皇后ゆかりの伝説地が多い。神戸市須磨(すま)区の一ノ谷は源平合戦の主戦場であった所、「鵯越(ひよどりごえ)の坂落とし」の伝説地である。須磨区須磨寺の寺宝「青葉の笛」は熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた平敦盛(あつもり)の遺品と伝え、付近には敦盛塚、首塚などがある。世阿弥(ぜあみ)の作という『松風』は須磨の伝説に基づいたもので、須磨寺の近くに松風村雨(まつかぜむらさめ)堂がある。流人(るにん)の中納言在原行平(ちゅうなごんありわらのゆきひら)が「立ち別れ稲葉の山の峰におふるまつとし聞かばいま帰り来む」(古今集)の歌を残して帰京し、行平に恋慕した「松風・村雨」の姉妹が堂を建て悲恋の半生を送ったと伝えられる。但馬地方には平家落人(おちゅうど)伝説が多く、美方(みかた)郡香美町御崎(みさき)を中心にして丹生(にゅう)、鎧(よろい)、畑、土生(はぶ)などの海岸線に平教盛(のりもり)、小宰相局(こさいしょうのつぼね)などの伝説が根づいている。御崎の平内(へいない)神社は教盛、伊賀平内左衛門宗長(むねなが)を祭神とするという。同地には教盛の墓がある。姫路城は「お菊井戸」で有名で、ゆかりの井戸がいまも城内に残っている。お菊の怪談は諸国にある皿屋敷伝説と同じモチーフで、『播州(ばんしゅう)皿屋敷』『番町皿屋敷』となって知られている。姫路市十二所神社内にお菊を祀ったお菊神社が現存する。姫路城の天守櫓(やぐら)には小刑部姫(おさかべひめ)という妖怪(ようかい)が住み着き、年に一度だけ城主と対面したという。姫路市慶雲(けいうん)寺には、近松門左衛門の浄瑠璃(じょうるり)『おなつ清十郎笠物狂(かさものぐるい)』などの作品で知られた「お夏清十郎」の比翼塚(ひよくづか)がある。また同市の書写山(しょしゃざん)円教(えんきょう)寺は、幼いころこの寺で修行した「弁慶」の伝説で知られている。山内には鏡(かがみ)井戸、力石、学問所などがある。赤穂(あこう)市坂越浦(さこしうら)に浮かぶ生島(いくしま)は「うつぼ舟」に乗せられた秦河勝(はたのかわかつ)が漂着した島という。推古(すいこ)天皇に仕えていたが、天皇の怒りに触れて流罪になりこの島で死んだ。河勝の死後、朝廷では怨霊(おんりょう)に悩まされたので神に祀ったという。島内に河勝の墓もある。たつの市御津町室津(むろつ)は古くから開けた海駅。室津の遊女室君花漆(むろぎみはなうるし)と書写山の性空上人(しょうくうしょうにん)にまつわる伝説地で、室君が建立した見性(けんしょう)寺がある。同じく室津の浄運(じょううん)寺には遊女友君と法然(ほうねん)上人との伝説が残っている。淡路島は狸(たぬき)伝説が多い。そのなかでも「芝右衛門(しばえもん)狸」は本家といわれていて、洲本(すもと)市三熊山(みくまやま)にその祠(ほこら)があり、参詣(さんけい)者が多い。芝右衛門狸は芝居好きで、大坂へ芝居見物に出かけたが、犬に襲われて最期を遂げたという。墓は田井の福田(ふくでん)寺にある。同島南あわじ市に「お局塚(つぼねづか)」とよぶ古塚がある。平通盛(みちもり)の妻小宰相局の墓で、夫の後を追って四国へ向かう途中、夫の悲報を聞いて入水したと伝えられている。

[武田静澄]

『八木哲浩・石田善人著『兵庫県の歴史』(1971・山川出版社)』『『兵庫県史』全6巻(1974~1982・兵庫県)』『兵庫県社会文化協会編・刊『兵庫県の民俗』(1976)』『宮崎修二朗・足立巻一著『日本の伝説43 兵庫の伝説』(1980・角川書店)』『『日本地名大辞典 兵庫県』(1988・角川書店)』『石田善人・落合重信・田中眞吾・八木哲浩監修『兵庫県風土記』(1994・旺文社)』『『日本歴史地名大系29 兵庫県の地名』全2冊(1999・平凡社)』


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