六波羅(読み)ロクハラ

デジタル大辞泉 「六波羅」の意味・読み・例文・類語

ろくはら【六波羅】

京都市東山区五条から七条の間の地名平家一門邸宅鎌倉幕府六波羅探題があった。
六波羅探題」の略。

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日本歴史地名大系 「六波羅」の解説

六波羅
ろくはら

現東山区宮川筋みやかわすじ五町目辺りから同日吉ひよし町辺りにかけてのかも川東岸一帯。ほぼ五条末(現松原まつばら通)と七条末との間をさす。「書言字考節用集」に「六波羅 ロクハラ 城州愛宕郡」とあり、同郡愛宕おたぎ郷の地にあたる。地名は麓原ろくはらすなわちひがし山山麓の原の意とも、六波羅みつ寺の所在することによるとも、また東山鳥辺野とりべのに続く葬送地としての「髑髏原」に由来するともいわれるが、確定しがたい。「六原」と書くこともあり、また「ろっぱら」と発音することもある。

付近には六道ろくどうの通称で知られる珍皇ちんこう寺、念仏ねんぶつ寺の異称のある愛宕寺、市聖空也の開いた六波羅蜜寺などの寺院が甍を並べたが、平安時代末には平氏の六波羅邸が営まれ、その後も源頼朝の六波羅邸、更に鎌倉幕府の六波羅探題が相次いで設けられ、鴨東おうとうにおける武家政治の拠点としての性格を永く保持した。

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改訂新版 世界大百科事典 「六波羅」の意味・わかりやすい解説

六波羅 (ろくはら)

現在の京都市東山区内,北は松原通から南は七条通に及ぶ賀茂川東岸の地名。葬地である鳥辺野に近く,珍皇寺,西光寺などの寺院が建てられていた。空也が開いた西光寺は,その没後六波羅蜜寺と改称された。平安後期の1110年(天永1)平正盛は六波羅蜜寺内に阿弥陀堂を建立したが,このころから六波羅の地名が多く行われるようになった。正盛の子忠盛,その子清盛によって平氏の屋敷が営まれ,とくに清盛のときには大いに拡張されて20余町を占め,一族郎党の館は数千に及んだといい,その政権の本拠として栄えた。平氏滅亡後,90年(建久1)源頼朝はこの地に邸を建て,1202年(建仁2)には鎌倉幕府の援助で北に建仁寺が創められ,21年(承久3)承久の乱後は六波羅探題が置かれるなど,京都における鎌倉幕府の拠点となった。1333年(元弘3)足利尊氏らが六波羅探題を攻略するに及び,寺院を残して邸館は焼失,田園となったが,江戸中期以後は市街地化した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六波羅」の意味・わかりやすい解説

六波羅
ろくはら

京都市東山区松原町付近。鴨川(かもがわ)の東岸、五条と七条の間の地で、現在は空也上人(くうやしょうにん)開山の六波羅蜜寺(みつじ)がある。平安時代以来の歴史上の要地。平正盛(まさもり)がここに邸宅六波羅殿(亭)を創設し、孫の清盛(きよもり)が、初め方一町ほどであったものを20余町までに造作して、平家一門が居住した。このため、平氏政権のことを六波羅政権とよぶ。鎌倉時代になると源頼朝(よりとも)がここに京都の邸宅をつくった。承久(じょうきゅう)の乱(1221)後は南北の六波羅探題(たんだい)を設置して、京都政界の監視、西国の訴訟事務などの政務を執行する幕府の一大分身機関とした。また、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏(あしかがたかうじ)が陣を構え、旧探題の職員をはじめ多くの御家人(ごけにん)を吸収した地ともなった。なお、洛東(らくとう)中学校内に六波羅探題府址の石碑がある。

[黒田弘子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六波羅」の意味・わかりやすい解説

六波羅
ろくはら

京都の地名。平安時代末期には平清盛の邸宅を中心に,平氏の一族郎党の住い五千二百余戸が集っていた。平氏政権は六波羅政権とも呼ばれ,その時代を六波羅時代と称した。鎌倉時代,承久の乱後に六波羅探題が設置された。現在の京都市東山区松原町付近にあたり,空也上人の創建と伝えられる六波羅蜜寺がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「六波羅」の解説

六波羅
ろくはら

六原とも。京都の鴨川の東側の地名。現在の京都市東山区にあたる。平安時代以来の葬送地である鳥辺野(とりべの)の入口にあたる。963年(応和3)空也(くうや)がこの地に六波羅蜜寺(はじめ西光寺)を建立し,信仰の場として栄えたが,平安末期には平氏が本拠地を構えた。鎌倉時代には源頼朝の宿所や,鎌倉幕府の出張所である六波羅探題府(たんだいふ)がおかれ,武士が多く居住する場所となった。

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百科事典マイペディア 「六波羅」の意味・わかりやすい解説

六波羅【ろくはら】

京都市東山区,鴨川東岸の六波羅蜜寺一帯の古称。平安末期には平氏の六波羅第が置かれ一門の居宅が立ち並び,平氏政権の中心地であった。鎌倉期には六波羅探題が所在。

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旺文社日本史事典 三訂版 「六波羅」の解説

六波羅
ろくはら

現在の京都市東山区松原町付近にあたる地名
10世紀中ごろ空也上人が創建したと伝えられる六波羅蜜寺がある。平安後期,平正盛がこの地に邸宅を構えてから清盛に至るまで平氏一門の居住地で,平氏政権の本拠であった。平氏滅亡後,源頼朝はここに邸宅をつくった。承久の乱(1221)後,鎌倉幕府はこの地に南北の六波羅探題を置いた。

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世界大百科事典(旧版)内の六波羅の言及

【京都守護】より

…鎌倉幕府の職名。洛中守護,京都警固,六波羅とも称した。以前,源義経,大内惟義など,源頼朝の代官的存在として京都の警衛を担当した者はあったが,その段階ではまだ官職とはいえず,1185年(文治1)11月に入京した北条時政が初例。…

【六波羅探題】より

…鎌倉幕府が京都の六波羅に置いた機関,およびその長。鎌倉末期,1319‐22年(元応1‐元亨2)ころ成立した《沙汰未練書》に〈探題とは,関東は両所,京都には六波羅殿を云ふ〉とあるのが六波羅探題の呼称の初見であり,通常は単に〈六波羅〉ということが多かった。…

※「六波羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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