公職追放
こうしょくついほう
一般的には政治家や行政官など公職にある者の追放をいうが、わが国では、1946年(昭和21)1月4日の連合国最高司令部覚書に基づく軍国主義指導者の公職からの追放をいう。追放の対象は、(A)戦争犯罪者、(B)職業軍人、(C)極端な国家主義団体などの幹部、(D)大政翼賛会などの幹部、(E)膨張政策に関与した金融機関の幹部、(F)占領地の行政長官など、(G)その他の軍国主義者であり、A項からG項まで分類された。ここでいう公職は、国会や地方議会の議員、官公庁や地方公共団体の職員だけでなく、特定の民間会社や報道機関なども含み、追放該当者は21万人以上に上った。公職追放は、当初から、自由党総裁鳩山(はとやま)一郎、石橋湛山(たんざん)、松本治一郎(じいちろう)の追放などのように政治的恣意(しい)や策謀が入り込む余地があった。49年以降、大幅な追放解除が進められる一方、50年6月の日本共産党幹部の追放をはじめとしたいわゆるレッド・パージに用いられるようになり、しだいに政治目的を濃厚に反映するようになっていった。
[五十嵐仁]
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公職追放
こうしょくついほう
第2次世界大戦後日本で,占領軍によって実施された追放の一つ。 1946年1月4日,占領軍当局はポツダム宣言に基づく日本民主化政策の一環として,「好ましくない人物の公職よりの除去覚書」を発した。これに基づき公職追放令が施行された。追放理由はA項からG項まで7項にわたり,被追放者は 21万人に上った。中央,地方の公職適否審査委員会の審査による追放指定のほか,重要な者には総司令部覚書による直接指定 (メモランダム・ケース) もあり,追放が政略的に使われた例もある。占領政策の転換につれて,50年以降レッド・パージに転用され,本来の趣旨が歪曲された。また 49年以降は追放解除の措置もとられ,52年4月の講和発効とともに自然消滅した。
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こうしょく‐ついほう ‥ツイハウ【公職追放】
〘名〙 重要な公職から特定の者を排除する制度。昭和二一年(
一九四六)一月に出された連合国最高
司令官の覚書に基づき、
国会議員、官庁職員、地方公共団体の職員や議会の議員、特定の会社、協会、報道機関その他の団体の職員などに適用され、軍国主義者、国家主義者とみなされた者はこれらの公職から追放となり、政治上の活動を禁止された。同二七年四月の
対日講和条約の発効に伴い、自然消滅。
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公職追放
こうしょくついほう
第二次世界大戦後,GHQ により行われた民主化政策の一つ
1946年,GHQ の覚書により,職業軍人・戦争犯罪人・国家主義団体役員などが公職から追放されたが,'47年には地方政界・経済界・言論界にまで拡大。追放者は約21万人にも及んだ。朝鮮戦争後緩和され,サンフランシスコ平和条約の発効('52)により,全員が追放解除となった。
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デジタル大辞泉
「公職追放」の意味・読み・例文・類語
こうしょく‐ついほう〔‐ツイハウ〕【公職追放】
重要な公職から特定の者を排除する処置。昭和21年(1946)1月に出されたGHQの覚書に基づき、軍国主義者・国家主義者を国会議員・報道機関・団体役職員などの公職から追放し、政治的活動も禁じた。同27年のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い、自然消滅。→教職追放
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こうしょくついほう【公職追放】
一般には共同体,団体,結社,行政組織などで,その内部秩序を保持して団結ないし活動の斉一性を維持・強化するために,一定の規律に違反したものを組織外に放逐し,また一定の活動資格を剝奪すること。ギリシアのポリスで行われたオストラキスモスostrakismosやカトリック教会からの破門などは共同体からの追放である。〈村八分〉もこの一種。団体,結社からの追放には,除名,粛清がある。占領期日本の公職追放やレッドパージなどは行政組織からの追放の例である。
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世界大百科事典内の公職追放の言及
【勅令】より
…緊急勅令には,暫定的な法律の性質をもつ立法的緊急勅令(8条)と緊急の財政処分をなす財政的緊急勅令(70条)の2種があり,政府権力を強化していた。とりわけ敗戦直後(1945年9月20日)の〈ポツダム緊急勅令〉(‘ポツダム′宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)は,連合国最高司令官の要求を実施するためにとくに必要な場合には,命令の形式(ポツダム命令)で所要事項を定めかつ罰則を設けることを認めることにより政府に白紙的に授権し,これに基づき公職追放(ポツダム勅令による)や団体規制(ポツダム政令による)などの占領政策が強権的に遂行された。なお,日本国憲法の下では,独立命令や緊急勅令はいっさい認められない。…
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