八郡村(読み)やこおりむら

日本歴史地名大系 「八郡村」の解説

八郡村
やこおりむら

[現在地名]八千穂村大字八郡

北八ヶ岳茶臼ちやうす山・縞枯しまがれ山の裾野が遠く東北方に延びて、千曲川に迫ろうとする末端台地上に位置し、白駒池から発する大石おおいし川とその支流双子ふたご池付近から流下する大岳川(石堂川)の間に立地している。

東は上畑かみはた村と、西は北八ヶ岳の峰境諏訪郡せりさわ(現茅野市)に接し、北は上畑村及び中畑村のうち佐口・鷽の口うそのくちに、南は馬越まごえ村・稲子いなご(現小海町)に境している。

大石川・石堂川の合流点の西方標高約八八〇メートルの段丘上に本郷八郡が立地し、合流点から南西に約二キロ大石川をさかのぼって枝郷大石がある。佐久甲州往還上畑宿から西方に分岐し、大石川沿いに上り、池の平を経て、大石峠越え諏訪郡芹ヶ沢に「八郡山新道」が通じていた(安政二年一二月「水戸御用米八郡新道附送り停止村々請書」臼田健一氏蔵)。現主要地方道佐久町―茅野線が一部これに沿って通じている。

建武二年(一三三五)一〇月二一日、山城国大徳寺領、信濃国佐久郡伴野庄の雑掌水沼実真が、同庄の年貢員数を大徳寺に注進した状に「下懸田 大石三百六十 岩郡三ケ所ハ不知案内」とある(「伴野庄年貢注文案」大徳寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報