八瀬童子(読み)やせどうじ

精選版 日本国語大辞典 「八瀬童子」の意味・読み・例文・類語

やせ‐どうじ【八瀬童子】

〘名〙 中世以来、大礼行幸その他朝廷に事あるときに出仕して駕輿丁(かよちょう)を勤めた京都八瀬里人。年貢課役を免除され、朝廷の慶事に献上するのを例とした。
高倉院厳島御幸記(1180)「やせどうじをぞ座主の召して、御輿つかうまつる」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「八瀬童子」の意味・読み・例文・類語

やせ‐どうじ【八瀬童子】

朝廷の儀式などのとき、駕輿丁かよちょうとして出仕した京都八瀬村人

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「八瀬童子」の意味・わかりやすい解説

八瀬童子 (やせどうじ)

京都北方の八瀬里(現,京都市左京区八瀬)の住民の古称。八瀬里は京都から大原朽木を経て若狭越前に通ずる街道筋にあり,比叡山延暦寺の京都側からの登山口で,11世紀には延暦寺青蓮院(しようれんいん)門跡領の荘園だった。住民は八瀬童子とよばれ,延暦寺に従属する一方,朝廷にも駕輿丁(かよちよう)として奉仕し,課役免除の特権が認められていた。そのことを示す1336年(延元1・建武3)の後醍醐天皇の綸旨(りんじ)が存在する。山間村落のため,彼らは農業以外に山林を伐採し洛中(らくちゆう)で炭・薪の行商をして生活を立てた。この販売権は中世末,城下町に楽市楽座(らくいちらくざ)を施行した織田信長によっても認められている。また11世紀に彼らはみずからの共同組織である宮座を形成していた(日本最古の宮座の記録がある)。江戸時代にも中世以来の風俗が残っていたといわれ,黒川道祐は〈此所ノモノ各々髪ヲ長クシ丸ク結ヒ,カリソメニ見トキハ,男女ノ差別見分難シ〉などと述べている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「八瀬童子」の意味・わかりやすい解説

八瀬童子【やせどうじ】

八瀬

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android