八幡新村(読み)やはたしんむら

日本歴史地名大系 「八幡新村」の解説

八幡新村
やはたしんむら

[現在地名]姫路市船津町ふなつちよう

御立みたち村の北、宮脇みやわき村の東に位置し、いち川左岸の河岸段丘の中位段丘北端に立地する。北は段差を経て中島なかしま(現福崎町)に続く。当地の小字に上糠塚かみぬかづか・下糠塚があり、「播磨国風土記」神前かんざき多駝ただ里の条にみえる粳岡ぬかおかの比定地とされる。地名の由来は伊和大神と天日桙命が戦ったとき大神の軍が集まり稲をついたが、その粳が集まって丘となったという。また同書では粳墓や城牟礼きむれ山が近くにあったことが知られる。江戸時代初め頃までは八幡野とよばれる原野・沼沢地帯であった。仁色にしき村の彦太夫は八幡野の開発を姫路藩に願出て許され、平津ひらつ(現加古川市)の小田弥兵衛とともに開発に着手、寛文一二年(一六七二)に完成させた(小田家文書・彦太夫墓碑銘)

八幡新村
はちまんしんむら

[現在地名]中条町八幡

南を胎内たいない川が流れ、東は高野たかの村、西は地本じもと村、北は江尻新えじりしん村・古館ふるたて村に接する。元禄郷帳に高野村枝郷として村名がみえる。寛永五年(一六二八)地町長兵衛見立により開かれたという(「神社覚書」野尻重令氏蔵)。初め村上藩領に属し、宝永六年(一七〇九)幕府領、翌七年村上藩領に復した。享保二年(一七一七)幕府領となる。万治二年(一六五九)検地帳(花野長次郎氏蔵)によれば高一一五石余・田六町三反九畝余・畑屋敷四町七反五畝余・新田一町五反二畝余で屋敷名請人一一名。宝暦一一年(一七六一)の巡見使案内帳(高橋哲也氏蔵)では家数四五・人数二一六・馬五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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