八代町(読み)やつしろちよう

日本歴史地名大系 「八代町」の解説

八代町
やつしろちよう

面積:二五・六二平方キロ

甲府盆地の南東部、郡のほぼ中央に位置し御坂みさか山地の中央部分から発して甲府盆地に至るあさ川が形成する扇状地上に発達した町。笛吹川左岸から南東に広がり山地が全面積の四七パーセントを占め平地は北西に開けている。同川を挟み、北から南西にかけ石和いさわ町、東から北にかけては、同川支流の川および、花鳥はなとり山から矢高やたか山の稜線を境にして御坂町、南東に鳥坂とりさか峠を境に芦川あしがわ村、南西に浅川の支流の竜安寺りゆうあんじ川および大谷おおや川からいな山の稜線を境にして境川さかいがわ村と接している。中央自動車道が西側を走り、平成七年(一九九五)当町と芦川村を結ぶ県道八代―芦川―三珠みたま線の新鳥坂トンネルが完成した。

旧石器時代の遺跡は調査例がないので明らかではない。縄文時代の遺跡は御坂山麓や浅川扇状地に濃密な分布がある。なかでも御坂町にまたがって存在する花鳥山はなとりやま遺跡は、早くから発掘調査が行われた前期後葉の県内有数の集落遺跡で、諸磯式期の単純集落であることが明らかとなっている。また岡の銚子原おかのちようしつぱら遺跡では、前期後半から終末の集落および中期後葉の曾利期の遺構が調査されている。浅川扇状地扇央部にある南の堀ノ内みなみのほりのうち遺跡からは、中期後葉の単独埋甕が検出されている。岡からは晩期の容器形土偶が出土している。弥生時代では浅川扇状地扇端部の沖積地にある身洗沢みあらいざわ遺跡から後期の集落跡と水路灌漑方式の施設をもった水田跡が発見され、農具などの木製品や漆塗の櫛、多数の植物遺体が出土している。弥生の水田跡は県内で初の発見であり、同遺跡の調査の経験を生かして、以後県内各地で水田跡が検出されるようになった。古墳時代の遺跡は数多く確認されている。

古墳は、銚子塚ちようしづか古墳・団栗塚どんぐりづか古墳・狐塚きつねづか古墳などの前方後円墳や地蔵塚じぞうづか古墳・馬見塚うまみづか古墳を代表とする円墳、それに唯一の方墳として竜塚りゆうづか古墳がある。銚子塚古墳に近接した盃塚さかずきづか古墳は、主体部は失われていたが周溝が確認され、竪穴式石室を有する円墳と推定されており、直刀が出土した。また竹居の蝙蝠塚たけいのこうもりづか一号墳も調査されている。

八代町
やしろまち

[現在地名]魚津市新角川しんかどがわ二丁目・上口かみぐち二丁目

角川両岸にまたがり、北は八幡はちまん町・紺屋こんや町、東は大光寺だいこうじ村など、西は橋場はしば町・橋向はしむかい町、南は住吉すみよし町。天明五年(一七八五)魚津町惣絵図では魚津町田地方うおづまちでんじがたの八幡社南西に田と記される地があるが、天保年間(一八三〇―四四)頃にこの付近に町立てされたようで、のち角川左岸に拡大した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報