全米黒人地位向上協会(読み)ぜんべいこくじんちいこうじょうきょうかい

百科事典マイペディア 「全米黒人地位向上協会」の意味・わかりやすい解説

全米黒人地位向上協会【ぜんべいこくじんちいこうじょうきょうかい】

National Association for the Advancement of Colored People,略称NAACP。デュ・ボイスが組織した〈ナイアガラ運動〉とイリノイ州スプリングフィールドの進歩的白人団体を母体として,1909年ニューヨークで結成された。裁判や教育を通して,黒人や他の差別されているマイノリティの権利獲得運動を展開。機関誌クライシス》を刊行,初代編集長はデュ・ボイス。公民権運動拡大の契機となった1954年のブラウン事件判決では大きな役割を果たした。1950年代から1970年代の公民権運動最盛期には45万人の会員を擁した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「全米黒人地位向上協会」の意味・わかりやすい解説

全米黒人地位向上協会
ぜんべいこくじんちいこうじょうきょうかい

全国黒人向上協会

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の全米黒人地位向上協会の言及

【公民権運動】より

…公民権運動がもっとも活発であったのは,1954年の合衆国最高裁判所の人種別学法違憲判決(ブラウン事件判決)から65年の投票権法の制定に至る期間である。この時期には,黒人と白人が参加した有力な運動団体(全米黒人地位向上協会(NAACP),全国都市同盟(NUL),南部キリスト教指導者会議(SCLC),人種平等会議(CORE),学生非暴力調整委員会(SNCC)など)が中心になって,南部における人種隔離制度,差別慣行を打ち破るために非暴力・直接行動が繰り広げられた。 NAACPはすでに1930年代から人種隔離の壁を崩す訴訟戦術を始めていたが,その成果であるブラウン事件判決は公民権運動に大きな弾みを与えた。…

【黒人問題】より

…タスキーギー大学の創立者で,白人との協調を説いたB.T.ワシントンや,彼の説にあきたらず,より理論的に人種の平等を叫んだデュ・ボイスは,その代表的な存在である。白人リベラルの呼びかけに応じて黒人指導者も参加し,最初の公民権団体ともいうべき全米黒人地位向上協会(NAACP)が創設されたのもこの時期である。(4)黒人北上時代 20世紀の初め,黒人人口の約90%は南部に住んでいた。…

※「全米黒人地位向上協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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