全日農(読み)ゼンニチノウ

デジタル大辞泉 「全日農」の意味・読み・例文・類語

ぜんにち‐のう【全日農】

《「全日本農民組合」の略称》昭和2年(1927)日本農民組合分裂で除名された中間派によって結成された組合組織。
《「全日本農民組合連合会」の略称》日本農民組合が分裂してできた全農日農統一派などの各派を昭和33年(1958)に再組織した農民組合の全国組織。

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精選版 日本国語大辞典 「全日農」の意味・読み・例文・類語

ぜんにち‐のう【全日農】

[一] 「全日本農民組合」の略。
① 昭和二年(一九二七)日本農民組合(日農)から除名された中間派によって設立。翌年日農と再統一。
② 昭和三年に結成された右派農民組合の全国組織。同六年日本農民組合へ移行。
[二] 「全日本農民組合連合会」の略。昭和二一年に統一された日本農民組合(日農)が分裂してできた全農、日農統一派、日農主体性派などの農民運動組織を同三三年に再統一して結成した農民組合の全国組織。

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改訂新版 世界大百科事典 「全日農」の意味・わかりやすい解説

全日農 (ぜんにちのう)

全日本農民組合の略称。

日本農民党系の中間派農民組合の全国組織。1926年労働農民党が分裂して日本労農党が結成されると,日本農民組合は左派と中間派が対立して第2次分裂を招き,翌27年3月,中間派は全日本農民組合(会長杉山元治郎)を結成した。群馬,山形,大阪,兵庫などが拠点であり,秋田県小坂町,新潟県王寺川村王番田などの下部組織は強力で,激しい小作争議を展開した。28年5月には日農と再統一,全国農民組合(全農)となった。

右派農民組合の全国組織。1928年の農民組合再統一の気運から離脱した全日本農民組合同盟が主体となり,中部農民組合,蒲原農民組合,庄内耕作連盟,香川県農民組合が合同して28年7月に結成された。しかし,すぐさま内部分裂を繰り返し,31年1月には日本農民組合総同盟と合同して日本農民組合を結成した。

戦後1947年に結成された日本自由党支持の農民組合。地主・自作・小作の階級協調と都市との協力をうたい,階級闘争を排除した健全農村の建設を主張した。日本社会党支持の全国農民組合に対抗したが,組織的力量はほとんどなく自然消滅した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「全日農」の意味・わかりやすい解説

全日農
ぜんにちのう

全日本農民組合

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「全日農」の意味・わかりやすい解説

全日農
ぜんにちのう

全日本農民組合連合会」のページをご覧ください。

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