入江稔夫(読み)いりえとしお

世界大百科事典(旧版)内の入江稔夫の言及

【水泳】より

…このヘブナーのバッククロールは泳法違反ではないかと協議されたが,この大会を契機に新泳法が世界中に広まった。アメリカにはW.ケーロハ,W.ラウファー,G.コジャックら若手選手が輩出したが,28年東京・玉川プールで開かれた国際競技会の200mで世界記録保持者のラウファーと対戦した入江稔夫はラウファーに3mの大差をつけ2分37秒8の世界新記録で優勝,4年後のロサンゼルス・オリンピック大会の100m背泳では清川正二,入江,河津憲太郎が金,銀,銅メダルを独占した。しかし第11回ベルリン大会ではアメリカのA.キーファーが金メダルを取り,また,トンボ返りターン(キーファーターン)をあみ出し世界記録を次々と塗り替えた。…

※「入江稔夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」