児島喜久雄(読み)コジマキクオ

デジタル大辞泉 「児島喜久雄」の意味・読み・例文・類語

こじま‐きくお〔‐キクを〕【児島喜久雄】

[1887~1950]美術史家。東京の生まれ。美術評論家としても活躍し、特にレオナルド=ダ=ビンチ研究にすぐれた業績を残した。

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精選版 日本国語大辞典 「児島喜久雄」の意味・読み・例文・類語

こじま‐きくお【児島喜久雄】

西洋美術史家。東京出身。東京帝大哲学科卒。ヨーロッパ留学後、東北帝大、東京帝大で美術史を講義美術批評の筆もとる。著に「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「美術概論」など。明治二〇~昭和二五年(一八八七‐一九五〇

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改訂新版 世界大百科事典 「児島喜久雄」の意味・わかりやすい解説

児島喜久雄 (こじまきくお)
生没年:1887-1950(明治20-昭和25)

美術史家。東京に生まれる。東京帝国大学で美学専攻大塚保治の指導をうける。1910年から《白樺》の同人となり,美術論を寄稿。21年から26年までアメリカ,ヨーロッパに留学し,ウェルフリン,W.vonボーデらとヨーロッパ美術史を研究。41-48年東京帝国大学教授著作に《レオナルド研究》《美術概論》《希臘の鋏》などがある。西洋美術史家として卓抜学識をそなえると同時に,美術批評家としても活躍した。15年に《読売新聞》に発表した《洋画私観》は,それまでの画家や文学者による印象批評的洋画観を脱したものとして評価が高い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「児島喜久雄」の意味・わかりやすい解説

児島喜久雄
こじまきくお
(1887―1950)

美術史家。東京生まれ。1913年(大正2)東京帝国大学文科大学を卒業、続いて大学院で西洋美術史を専攻した。20年学習院教授となり、翌年ヨーロッパに留学、26年に帰国した。35年(昭和10)東北帝国大学から東京帝国大学に転じ、助教授、教授となり、48年定年により退官した。自ら画筆もとり、安井曽太郎(そうたろう)ら画家たちとも交友があり、批評家としても活躍した。著書に『西洋美術館めぐり』『美術概論』『希臘(ギリシア)の鋏(はさみ)』などがある。

[永井信一]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「児島喜久雄」の解説

児島喜久雄 こじま-きくお

1887-1950 大正-昭和時代の美術史家。
明治20年10月10日生まれ。大塚保治(やすじ)にまなぶ。明治43年「白樺(しらかば)」同人。大正10年渡欧し西洋美術史を研究。昭和16年母校東京帝大の教授。美術評論,レオナルド=ダ=ビンチの研究で業績をのこした。昭和25年7月5日死去。62歳。東京出身。著作に「美術概論」など。

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百科事典マイペディア 「児島喜久雄」の意味・わかりやすい解説

児島喜久雄【こじまきくお】

美術史学者。東京生れ。1913年東大哲学科卒業後東北大教授を経て,東大教授となり西洋美術史講座を担当。レオナルド・ダ・ビンチの研究者として海外でも知られ,現代美術批評にも鋭い鑑識眼を示した。著書《美術概論》《レオナルド研究寄与》など。

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