元御細工町(読み)もとおさいくまち

日本歴史地名大系 「元御細工町」の解説

元御細工町
もとおさいくまち

[現在地名]米沢市中央ちゆうおう一―二丁目・城北じようほく一丁目

元籠もとろん町の北にある上級家臣屋敷町。東西の道に沿う両側町。北東は三の丸堀、東は門東もんとう町御用屋敷、西は北門から延びる南北道(屋代町横町)を限る。御細工町(米府鹿子)とも元細工町(享保一〇年城下絵図)ともいう。享保一〇年(一七二五)の城下書上によれば長さ二町四九間・道幅五間・屋敷数三一。ほかに三の丸外のたつ(町人町)に通じる出入門と結ぶ長さ五〇間・道幅五間・屋敷数三の横町がある。弘化三年(一八四六)の屋敷割帳では屋敷数二八(学館一・役家一)・空屋一。北東部三の丸堀際に学館がある。元禄一〇年(一六九七)上杉綱憲のとき当町儒医矢尾板三印が自邸に聖堂を創建し祭典を営んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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