優孟(読み)ゆうもう

世界大百科事典(旧版)内の優孟の言及

【中国演劇】より

…一方,春秋戦国時代(前770‐前221)の宮廷には,〈倡優〉とよばれる道化師がいて,歌舞に滑稽をまじえて王侯貴族を楽しませることを職掌とした。楚の荘王に仕えた優孟,秦の始皇帝に仕えた優旃(ゆうせん)などがそれで,彼らにはいわば後世の役者俳優の原型ともいうべきものを見ることができよう。漢代の宮廷には〈散楽〉〈百戯〉とよばれる,歌舞や曲芸,奇術,格闘技等をも含む諸演芸が流行したが,歌舞がさらに進歩して簡単なストーリーをもつようになったのは6世紀,六朝の末ころであった。…

※「優孟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」