債権債務(読み)さいけんさいむ

改訂新版 世界大百科事典 「債権債務」の意味・わかりやすい解説

債権・債務 (さいけんさいむ)

特定の人(債権者)が他の特定の人(債務者)に対して,一定の行為(給付)を請求する権利を債権といい,これを請求される側からいえば債務となる。たとえば,甲が乙に対して一定期日まで100万円を貸した場合に,期日がくれば,甲は乙に対して〈100万円を返せ〉と請求でき,これに応じて乙は100万円を返さなければならない。このように,債権者は債務者に対して債権を有し,債務者は債権者に対して債務を負担している。したがって,債権・債務は,同一の法律関係を権利者の側からみるか,義務者の側からみるか,の違いにすぎない。

 債権には,請求しうる権能とならんで給付の客体を自己のものとする権能(受給権能)がある,といえる。ところで,もし,乙が甲の請求にもかかわらず,自発的に100万円を返さなかった場合,甲は乙を被告として100万円の貸金返還請求訴訟を起こし,その判決をまって乙の財産を競売にかけ,その代金のなかから100万円を回収することができる。このように,債権には訴求可能性と強制執行可能性が備わっている,といわれ,実際,現代における債権のほとんどは訴求・強制執行可能性を備えている。しかし,例外的にもせよ,この可能性を欠くが債権として遇されるべきものが存在する。〈訴えない〉とか〈強制執行はしない〉との約束のもとに金を貸したような場合である(自然債務)。この場合に債権・債務が存在するか否かは,古来争われてきた〈債務と責任Schuld und Haftung〉の問題の一環をなす。すなわち,債権の本質は,債務者に対して〈一定の行為をなすべし〉と請求しうる(=債務Schuld)点にあるのか,それとも,裁判所という国家機関の助けをかりて債務者がなすべき行為を自発的に行ったとすれば債権者が入手しうる利益を債務者の財産から確保できる(責任Haftungの実現)点にあるのかが,問題とされる。債権は,SchuldとHaftungの双方を備えているのを原則とするが,Haftungを欠く債権ないし債務の存在も否定できず,そのような債務を,不完全債務という。

債権が有効に成立するためには,次の要件を満たしていなければならない。(1)債権の内容は実現可能なものでなければならない。古くから〈不能はなんらの債務をも生ぜしめないimpossibilium nulla obligatio est〉といわれているところである。たとえば,甲がその所有する建物を乙に売る契約をしたところ,数日前にすでにその建物が落雷によって焼失してしまっていたような場合には,乙の甲に対する建物の所有権の移転を内容とする債権は成立しえず,売買契約も無効となる。このように,はじめから実現不能なことを内容とするとき,給付は原始的不能であって,債権は成立しえないといわれる。これに反して,債権成立後に不能を生じたとき,たとえば,前例において契約成立後に建物が,甲の失火や落雷によって焼失したような場合には(後発的不能),債権はいったん成立したことになり,甲の債務不履行(履行不能)により損害賠償請求権に転化するか(失火の場合),危険負担(落雷の場合)の問題を生ぜしめるかにすぎない。なお,ここで不能というのは物理的な不能だけでなく社会観念から不能とみられる場合をも含む。したがって,甲が乙に売却した不動産を,二重に丙へ売り丙への所有権移転の登記を済ませたとき,乙の甲に対する債権は不能となる。(2)債権の内容は確定しうるものでなければならない。たとえば,甲が乙に対して〈土地を100m2〉売ろうといい,乙がこれに同意しても,具体的にどの土地であるかが確定できないような場合には,そのような合意に基づく,乙の甲に対する〈100m2の土地所有権を移転せよ〉という債権の存在を認めることは,無意味である。(3)強行法公序良俗に反する債権は成立しえない(民法90条,91条)。法律行為自由の原則ないし契約自由の原則により,債権の内容は自由に当事者の合意によって定めることができる。しかし,このような原則を例外なしに貫徹すると,社会秩序を混乱させるおそれがある。殺し屋を雇う契約や,妾契約,賭博契約などが,公序良俗に反する法律行為として無効とされるゆえんである。また,民法典その他の特別民法中の強行規定に反する内容の債権も成立しない(借地借家法9条,16条,21条,30条,37条参照)。

債権は,債務者に対する行為請求権であるから,原則として,債務者のみがその内容を実現することができる。しかし,そのことと債権の実現を妨げうる者は債務者に限られるということは,同じではない。確かに,債務者が要求される給付をなさなければ,債権の実現が阻害され,債務者に債務不履行責任を生じるが,第三者もまた債権の実現を妨害できる。たとえば,甲が乙に対して,一定日時に一定の場所で講演させる債権を有していたところ,丙が乙を拉致(らち)して講演できないようにした場合が,その典型例である。この場合,丙は人身を拘束することによって乙に対し不法行為を行うとともに,甲に対しても,その乙に対する債権を侵害したことになる。何ぴとも他人の権利を侵害してはならない(権利不可侵の原則)のであるから甲が丙に対して債権侵害によってこうむった損害の賠償を請求しうることは当然である。しかし,甲は丙の侵害行為そのものを排除できるであろうか。甲の所有する建物を乙が賃借していたところ,丙が無断でその建物に侵入した場合に即して,この問題が論議されている。乙は甲に対して,〈建物を使用させろ〉という債権(賃借権)を有するにすぎないのであるから,丙に対しては,乙の債権の実現が妨害されているにしても,債権そのものに基づいてその排除を求めることはできない--もっとも乙が建物を占有して(住んで)おれば,丙に対して占有訴権(民法197条以下)を行使できるが--とするのが,原則である。乙は,甲に対して,甲がその所有権に基づく物権的請求権を行使して丙を排除するよう,請求しうるにとどまり,甲がこれに応じないときは,民法423条により,乙はその賃借権を保全するため,甲の丙に対する物権的(妨害排除)請求権を,甲に代わって行使することとなる(債権者代位権)。しかし,これはいささか迂遠の嫌いがある。むしろ,対抗力を備えた不動産賃借権(民法605条,建物保護法1条,借地借家法10条,31条など)は,後述するように,そのかぎりで物権化しているのであるから,そのような賃借権自体に基づく妨害排除請求を認めるのが,判例・通説である。これは不動産賃借権の物権化の一局面であり,他の賃借権をはじめとする債権に基づく妨害排除請求は認められないことに,留意すべきである。

債権は,物権と並ぶ財産権であるが,物に対する直接かつ排他的支配権(対物権jus in rem)である物権に対して,債務者という特定人に対する請求権(対人権jus in personam)である。このことから,物権には排他性があるけれども,債権には排他性がない,という差異を生じる。物権は客体たる物に対する直接の支配を内容とするから,いったん物に対する支配が確立すると,その支配と矛盾抵触する支配は同一の物については成立しえない(排他性)のであり,さきに成立した物権は後のものより効力が強い(prior tempore,potior jure)という優先的効力が,物権には認められる。ただし,排他性ないし優先的効力が認められるのは,対抗要件を備えた物権についてのみである。これに対して,債権は行為(給付)請求権であるから,同一の人に対する同じ内容の債権が複数存在することも可能である。たとえば乙が同一時刻に甲および丙に対して講義する債務を負担したような場合である。その際,いずれの債権が満足を受けるかは,もっぱら債務者の意思にゆだねられ,満足を受けえなかった債権者は,債務者に対して,債務不履行による損害賠償を請求するよりほかない。このことは,さらに,同一債務者に対して債権が複数存在する場合に,成立の前後や弁済期の前後を問題とせず,すべての債権を平等に取り扱うとの帰結を導く。これを債権(者)平等の原則という。したがって,甲に対して乙,丙,丁がそれぞれ800万円,500万円,200万円,合計1500万円の貸金債権を有し,甲の責任財産がその半分の750万円しかないとすれば,いずれの債権が早く成立したか,弁済期はどうかなどを問うことなく,比例配分で,それぞれ400万,250万,100万を回収することとなる。債権担保の配慮を,債権者がなすゆえんである。

 ある権利を物権とするか債権とするかは,多くの場合,権利の性質によって定まる。たとえば,所有権はどうしても物権でなくてはならないし,甲が乙に金を貸した際甲の乙に対する金銭の返還請求権は債権でしかありえない。しかし,他人の物を利用する権利を物権とするか債権とするかは,ア・プリオリな問題ではなくて,立法政策の問題である。日本においては,他人の土地を利用する権利として,物権(地上権,永小作権)と債権(賃借権,まれには使用借権)の双方を認め,いずれを選ぶかは,土地所有者と利用権者の意思にかからしめている。そこで乙が甲の所有する土地を使わせてもらい,その建物を所有したいと思い,甲にその旨申し入れたとすれば,甲は弱いほうの権利を乙に設定しようというのが,一般的である。だから,地上権の設定はまれで,圧倒的に賃貸借によることが多い。そこで,利用権者を保護するため,建物所有を目的とする地上権と賃借権とを一括して借地権(〈借地〉の項参照)とし,これを借地法(のち借地借家法)によって規制するに至ったため,両者の間にはほとんど差異がなくなっている(ただし,借地借家法19条にみられるように譲渡性に関しては,無視しえない違いがある)。

かつて,債権は,債権者と債務者を結ぶ法の鎖juris vinculumと観念され,人的色彩の濃厚な権利であった。したがって,債権者ないし債務者の交代は,債権の同一性をそこなうとされ,債権が財産として取引の客体とされることは少なく,物権を取得するための手段,他人の物を利用する手段,他人の労務を利用する方法として機能するのが,一般的であった。このような性質は,現在でも,たとえば,不動産の買主の売主に対する所有権移転請求権(債権)や,民法612条などの制約をうける賃借権,ないし,いわゆる〈為す債務obligation de faire〉(たとえば,画家に肖像画を描かせる債権など)においてみられるけれども,資本主義成立後の社会においては,金銭債権とりわけ金銭消費貸借に基づく貸金債権が,圧倒的に重要な役割を果たす。そこでは,債権者がだれであろうと,債務者は自己の負担する抽像的な一定額の価値を表象する金銭を支払うことをもって足り,かつ,債権者も即物的にその支払を受ければ足りるのであるから,金銭債権は1個の財産として流通するに至る。もとより,金銭債権も債務者の責任財産によってその実質的価値が左右されるから,債権平等原則を顧慮して,債権者はその給付を確保するため,さまざまの担保手段を考案するに至る。譲渡担保がその嚆矢(こうし)をなすものであり,根(ね)抵当や仮登記担保がこれに続き,現在もなお担保(物権)法は激しく流転しつつある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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