修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)(読み)しゅがくいんりきゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)
しゅがくいんりきゅう

京都市左京区修学院(しゅうがくいん)藪添(やぶそえ)にあり、「しゅうがくいん」ともよぶ。比叡山(ひえいざん)の南西麓(ろく)の御茶屋(おちゃや)山と赤山明神(せきざんみょうじん)山の傾斜地を利用して江戸初期につくられた離宮で、上(かみ)・中(なか)・下(しも)の御茶屋とそれに付属する庭園からなり、宮内庁の所管になっている。

[工藤圭章]

沿革

ここは平安時代に延暦寺(えんりゃくじ)の別院、修学院があった所で、中世に廃絶してから長らく同寺の荘園(しょうえん)となっていた。1655年(明暦1)にこの地を訪れた後水尾(ごみずのお)上皇は、一帯の風光を賞(め)でて離宮の造営を計画、1659年(万治2)に下の御茶屋が完成した。ついで1661年(寛文1)には上の御茶屋の庭園の築堤ができ、引き続き建物も1663年に竣工(しゅんこう)をみた。1680年(延宝8)上皇が崩御されると、内親王の緋宮光子(あけのみやてるこ)がその冥福(めいふく)を祈って上と下の御茶屋の中間南に林丘寺(りんきゅうじ)を建て、東福門院の女院御所の建物を賜っている。林丘寺は1885年(明治18)この寺地の一部を皇室に返上し、以後、これが中の御茶屋と称されるようになった。

[工藤圭章]

上の御茶屋

修学院離宮は、背後の山麓や各御茶屋間の田畑を含めると55万5000平方メートルに及ぶが、3庭園のなかでは上の御茶屋庭園が最大で、全体の中心をなす。ここでは比叡山から流れる渓流を高さ約15メートル、長さ200メートルの大堰堤(えんてい)を築いてせき止め、中央に広大な人工池(浴竜池(よくりゅうち))をつくる。池の中には、かつての山稜(さんりょう)が北の三保島、中央の中島、南の万松塢(ばんしょうう)の三つの島となって残り、中島の頂に窮邃亭(きゅうすいてい)が建つ。入口の御成門(おなりもん)を入ると、池の南岸の丘上には1824年(文政7)再興の隣雲亭があり、この東側の吹き放しの広縁は洗詩台(せんしだい)とよばれる。ここからの京都北山(きたやま)一帯の展望はすばらしい。隣雲亭に対して西岸には止々斎(ししさい)が建てられていたが、いまはない。浴竜池では舟遊びのために、隣雲亭の下方、止々斎わき、中島の窮邃亭西の3か所に舟着き場がある。中島の東には楓(かえで)橋、西には土橋があり、南には廓橋(くるわばし)の千歳(ちとせ)橋があって万松塢に渡れるようになっている。大堰堤上には大刈込(おおかりこみ)があり、池側は西浜とよばれ汀線(ていせん)が美しい。西浜の南、浴竜池から流れる水は雌滝(めだき)となり、これに対して、隣雲亭の東に音羽(おとわ)川から引いた水による雄滝(おだき)がある。

[工藤圭章]

下と中の御茶屋

上と下の御茶屋の間は松並木道で結ばれる。下の御茶屋は、この離宮に入ると初めての御茶屋で、いわば御幸(みゆき)の際の御休息所にあたる。表御門を入ると、花菱(はなびし)の透彫りのある御幸(みゆき)門に至るが、参観者の通用門はこの東側にある。下の御茶屋の池は南北二つあり、その中間のくびれた所に橋が架かる。北の池には岬状に張り出した中島があり、その先端と付け根に袖形灯籠(そでがたとうろう)と朝鮮灯籠がある。ここを過ぎると、白砂の敷かれた寿月観(じゅげつかん)の前庭に至る。寿月観の南は浴竜池から流れ込む水を滝に落として遣水(やりみず)とする。遣水のわきには櫓(やぐら)形灯籠が立ち、その反対右手に枯山水の石組がある。寿月観は文政(ぶんせい)年間(1818~1830)の復原で、平面は旧状を踏襲している。この主室の一の間は15畳で、隅に3畳の上段が設けられ、その西に大床(おおとこ)、北に琵琶(びわ)床と天袋・地袋のある小さな違い棚が並び、簡素な整いを感じさせている。

 下の御茶屋を出て南に折れ曲がると、中の御茶屋の表門に至る。ここから石段を上ると、女院御所の切手(きって)御門を移した旧林丘寺総門が建つ。中門を入ると、笠(かさ)松の植えられている庭があり、その東に客殿と楽只軒(らくしけん)が雁行(がんこう)して建つ。客殿南には東から流れる遣水があり、楽只軒前の池に滝となって落ちる。遣水東端には林丘寺に至る石段があり、そこには坂を利用した野趣に富んだ枯山水の石組がみられる。

 客殿は林丘寺の旧御殿で、もと東福門院(徳川和子(まさこ))の女院御所の奥御対面所を1682年(天和2)に移築したといい、一の間、二の間、三の間と仏間からなる。一の間では、床(とこ)が一間幅であるが、違い棚は一間半幅と広く珍しい。しかも地袋が矩(かね)折りに折れ、その上に三角の袋棚がのり、5段の棚板が霞(かすみ)のたなびくように配されている。このため霞棚の名があり、桂(かつら)離宮新御殿の桂棚、醍醐寺(だいごじ)三宝院宸殿(しんでん)の醍醐棚とともに天下の三棚に数えられている。一の間の腰回りは金と群青(ぐんじょう)の菱(ひし)形をつなぎ、床、違い棚の貼付(はりつけ)壁や襖(ふすま)は色紙を貼り並べ、長押(なげし)には七宝(しっぽう)の花車の釘隠(くぎかくし)が打たれるなど、華麗な意匠をみせる。また、二の間の襖絵は四季の風物が描かれるなど、この建物は女院の奥向きの御殿らしい風格に満ちている。楽只軒は緋宮光子内親王の山荘のころからの建物で、全体に簡素な造りをみせる。一の間は六畳敷きと狭く、北側に一間幅の床があるだけで、床とそのわきの貼付壁には金地に吉野の桜が描かれている(作者は狩野探幽(かのうたんゆう)の子探信(たんしん))。これに対して8畳の二の間は竜田(たつた)川の紅葉(もみじ)が描かれている。

 なお、修学院離宮の拝観については、桂離宮や仙洞御所と同様に、宮内庁京都事務所への郵送やインターネットでの事前申込み、または各施設(現地)での当日先着順の受付による許可が必要である。

[工藤圭章]

『谷口吉郎著『修学院離宮』(1962・淡交社)』『森蘊編『御所離宮の庭3 修学院離宮』(1975・世界文化社)』『吉村貞司著『日本の美術48 修学院離宮』(1976・小学館)』


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