しゅうし‐きょく シウシ‥【修史局】
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東京日日新聞‐明治八年(1875)四月一六日「正院中歴史課、自今修史局と被改候条」
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デジタル大辞泉
「修史局」の意味・読み・例文・類語
しゅうし‐きょく〔シウシ‐〕【修史局】
東京大学史料編纂所の、明治8年(1875)から明治10年(1877)までの称。
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修史局 (しゅうしきょく)
明治初年に設置された政府の歴史編纂所。大政奉還後,明治政府は王政復古の立場から1869年(明治2)修史の詔を発布して,国史編輯局を開設,三条実美を総裁として歴史編纂事業を開始した。その事業の一部として完成した最初の官撰明治維新史が《復古記》(1889完成,1930刊)であり,同書は王政復古に功労があった諸藩の事績を顕彰するための戊辰戦争の戦功録であった。こうして明治国家の正統性と権威を確立する立場から,当時の歴史編纂事業が発足した。その役割を果たすうえで,1872年国史編輯局は太政官制のもとで歴史課と改称され,また75年に修史局,77年には修史館となった。86年には内閣制度の施行下で内閣臨時修史局となったが,その2年後,同局は廃止されて,業務は東京帝国大学の史料編纂掛(1929年史料編纂所と改称)に移管された。
執筆者:石塚 裕道
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修史局
しゅうしきょく
明治初期の官立国史編纂所。明治2 (1869) 年旧和学講談所内に史料編輯国史校正局が設置されたのに始り,国史編輯局,太政官歴史課を経て 1875年修史局と改称,史料の収集と『復古記』『明治史要』の編纂を行い,77年修史館と改称され,重野安繹,久米邦武らを中心に『大日本編年史』の編纂を開始,86年臨時修史局となり,88年東京帝国大学に移管されたが,漢文による通史の編纂事業は行きづまり,93年廃止,2年後史料の編纂を主たる目的とする史料編纂掛として再興,現在の東京大学史料編纂所の前身となる。
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