信貴山寺(読み)しぎさんじ

精選版 日本国語大辞典 「信貴山寺」の意味・読み・例文・類語

しぎさん‐じ【信貴山寺】

奈良県生駒郡平群町、信貴山にある真言宗の寺、朝護孫子寺の別称。聖徳太子創建と伝えられる。戦国時代、兵火のために焼失したが豊臣秀頼が再建した。毘沙門天本尊とするところから「信貴山の毘沙門」の名で知られる。所蔵する国宝信貴山縁起」は絵巻物傑作

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デジタル大辞泉 「信貴山寺」の意味・読み・例文・類語

しぎさん‐じ【信貴山寺】

朝護孫子寺異称

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日本歴史地名大系 「信貴山寺」の解説

信貴山寺
しぎさんじ

[現在地名]平群町大字信貴畑

信貴山南東中腹に位置する。信貴山朝護孫子ちようごそんし歓喜かんき院と号し、信貴山真言宗。一般には信貴山寺、信貴の毘沙門天びしやもんてん、信貴の毘沙門さんとよばれる。広大な境内には、舞台造の本堂をはじめ三重塔・多宝塔など多くの堂宇・塔頭がある。本尊毘沙門天は福徳開運の仏として信仰され、縁日寅の日には参詣者が多い。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔草創・沿革〕

「今昔物語集」巻一一、「宇治拾遺物語」などによれば、延喜年中(九〇一―九二三)に命蓮(明蓮、明練)が中興したという。承平七年(九三七)の信貴山寺資財宝物帳写(信貴山文書)には、

<資料は省略されています>

とある。後述する信貴山縁起(寺蔵)は命蓮にまつわる物語を絵巻物としたもので、命蓮がこの地に庵を結び、醍醐天皇の病悩平癒を祈って霊験があったので、「朝廟安穏、守護国土、子孫長久」の祈願寺として再建されたとみるのがよいであろう。ちなみに「扶桑略記」延長八年(九三〇)八月一九日条には、醍醐天皇の病気に際し、「志貴山寺住沙弥命蓮(中略)為加持候御前」とみえている。

室町期の菅家本「諸寺縁起集」には「件寺者、修行僧明練建立云々、本尊沙門天王也、以石櫃為本体、彼櫃仁在銘、護世大悲多門天、又聖徳太子為誅守屋大臣、於此山而為祈祷、奉造四天王像、以勝軍木造之、其時件沙門神体現給云々、巨細在太子伝」とあり、聖徳太子の物部守屋の討伐にまつわる四天王信仰に基づく、毘沙門天の出現が創建と結びついたと説いている。

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