信玄堤(読み)シンゲンヅツミ

デジタル大辞泉 「信玄堤」の意味・読み・例文・類語

しんげん‐づつみ【信玄堤】

武田信玄釜無かまなし笛吹ふえふきなどの急流に築いた堤防。山梨県甲斐市に遺構がある。

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日本歴史地名大系 「信玄堤」の解説

信玄堤
しんげんづつみ

武田信玄が築いたとされる堤。江戸時代前期にかけて延長された。信玄堤とよばれる堤防は県内に数ヵ所あるが、一般には釜無川御勅使みだい川の合流点より下流の釜無川東岸、竜王町の本竜王地内にあるものをさす。当初釜無川の主流は御勅使川の流れを受けて東進し、甲府盆地中央部を流域としていたが、武田信玄は水害の抑制と耕地拡張を図るため、御勅使川の河道を北側に移したか(竜王鼻)にぶつけ、本竜王に大規模な堤防(信玄堤)を築き、甲府盆地の洪水を緩和したとされる。築堤工事開始の時期は不明であるが、父信虎を駿河に追放した翌年の天文一一年(一五四二)に大洪水が発生し、それを契機に着手したとされる。永禄三年(一五六〇)八月二日の武田信玄印判状(保坂達家文書)では棟別役を免許し、堤防保護と新田開発のため堤の背後の「竜王之川除」に集住することを促しているため、その頃には一応の完成をみたと考えられている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「信玄堤」の意味・わかりやすい解説

信玄堤
しんげんづつみ

山梨県甲府盆地西部、釜無川(かまなしがわ)東岸の堤防で、甲斐市(かいし)にある。戦国時代、武田信玄が構築したものとして有名。この地は西岸に御勅使(みだい)川の扇状地があり、御勅使川が釜無川に合流するところにあたっているが、御勅使川は荒れ川で水害をしばしばおこした。信玄は1542年(天文11)から工事を始め約20年の歳月をかけて堤を完成した。特色は、御勅使川の流れを上流に固定して水勢を避け、1800メートルにわたる大堤防に樹木を植え、河岸には雁行(がんこう)とよばれる霞堤(かすみてい)(不連続に設けられた堤防)を設けたもので、この治水法は今日でも高く評価されている。JR竜王駅から徒歩25分。

横田忠夫


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改訂新版 世界大百科事典 「信玄堤」の意味・わかりやすい解説

信玄堤 (しんげんづつみ)

武田信玄が釜無川沿岸に構築した川除(かわよけ)用の堤防。山梨県甲斐市の旧竜王町にある。御勅使(みだい)川が釜無川に合流する地点は古来甲州第一の水難場で,甲府盆地西部に水災を及ぼしてきたが,信玄は1542年(天文11)治水工事に着手,18年の歳月を費やして完成させた。特色は,まず将棋頭(しようぎがしら)という圭角(けいかく)の石堤を築いて御勅使川の水流を南北に二分し,その本流を釜無川浸食崖の赤岩(高岩)にあたらせ,また十六石という巨石を配して水勢を減殺するという自然力を利用した工法で,さらに釜無川左岸には1000余間(1800m余)の堅固な堤防を築き,これに雁行状に配列した霞堤を設けて大出水に備えたことにある。60年(永禄3)竜王の河原の開拓を計画して移住者を募り,棟別(むなべち)役免除の特権をあたえるとともに水防の義務を課したが,これが竜王河原宿(旧竜王町竜王)の成立である。近世初頭にかけて広く新田開発が進み農業生産力は増大,またその築堤技術は江戸時代には甲州流川除として知られた。
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百科事典マイペディア 「信玄堤」の意味・わかりやすい解説

信玄堤【しんげんづつみ】

武田信玄が天文年間(1532年―1555年)に釜無(かまなし)川東岸の山梨県甲斐市に築いたと伝えられる堤防。現在もその一部が残る。延長630mの土手を本堤とし,内外を竹で根固めし,川寄りに2km余りの石堤を築き,さらに33の付出しを設け防備した。この時に用いた水制霞堤(かすみてい)などは後の甲州流治水の基となった。
→関連項目竜王[町]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「信玄堤」の解説

信玄堤
しんげんづつみ

戦国期,甲斐国の武田信玄が築いた堤防。現在の山梨県甲斐市竜王にある。甲府盆地は釜無川・笛吹川荒川などの河川が合流し,古くから洪水の被害をうけた。信玄は家督を継ぐと,大規模な治水工事を行った。釜無川・御勅使(みだい)川の合流点は最も洪水がおこりやすいので,御勅使川分水工事を行い,釜無川東岸に堅固な堤防を築き堤防上に竹木を植えて防水林とした。堤防は一直線ではなく,雁行状に重複して配列する霞堤(かすみづつみ)とよばれるもので,急激な大出水にも決壊しない独特の工法であった。これにより近世初頭には多くの新田開発が行われた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「信玄堤」の意味・わかりやすい解説

信玄堤
しんげんづつみ

戦国時代,武田信玄が当時の土木技術を駆使して甲斐国に築いた堤防。甲斐国に水害が多かったため,特に釜無川の東岸の玉川,飯喰,河西,西輪にかけて築いた。現在竜王付近にその一部が残っている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「信玄堤」の解説

信玄堤
しんげんづつみ

戦国時代,甲斐の武田信玄が釜無川と御勅使 (みだい) 川の合流点に築いた堤防(山梨県竜王町)
1560年完成。現在その一部が残っている。戦国大名の治水の好例。

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世界大百科事典(旧版)内の信玄堤の言及

【治水】より

…たとえば甲州における武田信玄の国中平野への進出と釜無川の治水は,この時代の治水の代表的なものである。信玄の治水法は,信玄堤の造成と御勅使(みだい)川の釜無川への流入点の変更である。信玄堤は竜王地点では自然流に近く設けられるが,南へ下るとともに川から離れ,築地新居・飯喰地点では1200mを隔て,断続した8個の堤が笛吹合流点まで雁行している。…

※「信玄堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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