保国会(読み)ほこくかい

世界大百科事典(旧版)内の保国会の言及

【戊戌変法】より

…この当時,西太后の手から政治の実権をとりもどした光緒帝の側近の間には,政治改革を望む空気が,翁同龢(おうどうわ)を中心に,しだいに濃くなりつつあり,この上書は皇帝に届かなかったものの,康有為は光緒帝の命により総理衙門に召され,李鴻章,翁同龢らを通じて変法の具体策を開陳できた。98年4月,彼は〈国家を保ち,種(民族)を保ち,教(孔子教)を保つ〉ことを宗旨とする保国会を官僚たちによびかけて組織し,変法運動は最高潮に達した。 しかしたまたま保守派の中心人物恭親王奕訢(えききん)が病死したため,変法運動は新しい局面をむかえた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」