依田学海(読み)よだがっかい

精選版 日本国語大辞典 「依田学海」の意味・読み・例文・類語

よだ‐がっかい【依田学海】

漢学者演劇評論家、劇作家江戸の生まれ。下総国佐倉藩士。本名朝宗通称百川(ひゃくせん)。福地桜痴らと演劇の社会的地位の向上に尽力歌舞伎市川団十郎新派伊井蓉峰後援して演劇改良に努め、自らも活歴劇の脚本を書いた。著「吉野拾遺名歌誉」「侠美人」。天保四~明治四二年(一八三三‐一九〇九

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デジタル大辞泉 「依田学海」の意味・読み・例文・類語

よだ‐がっかい〔‐ガクカイ〕【依田学海】

[1834~1909]漢学者・演劇評論家。江戸の生まれ。名は朝宗。あざな百川ひゃくせん、のちこれを本名とした。演劇改良運動に尽力。戯曲吉野拾遺名歌誉」など。

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朝日日本歴史人物事典 「依田学海」の解説

依田学海

没年:明治42.12.27(1909)
生年:天保4.11.24(1834.1.3)
幕末明治期の漢学・文学者。名朝宗,字百川,通称幸造,信造,七郎,右衛門二郎。学海と号し,明治後は百川を名とし,向島の別宅を柳蔭精廬と称した。江戸生まれの佐倉(千葉県)藩士藤森弘庵に儒ならびに詩文を授かり,経世の意識も高まる。安政~慶応期は藩の中小姓,仮目付,郡代官,留守居役歴任,大政奉還後は譜代藩として徳川慶喜の助命嘆願,あるいは藩主恭順を政府に伝えるために関西,江戸間を奔走。維新後は藩公議人,権大参事。明治5(1872)年,東京会議所書記。同8年,太政官修史局(のち修史館)の編修に任ぜられるも重野成斎(安繹)派による川田甕江派排斥のため,同14年文部省音楽取調掛兼編輯局少書記官に転任。同18年非職,以後文筆で糊口した。魏叔子を奉ずる躍動感に溢れた漢文家として多くの序跋碑文記伝を残し,勘弥,団十郎らの演劇改良を後援し,森鴎外,幸田露伴ら若手と小説合評をするなど活動は広い。時流に乗らず逆らわず,しかし鋭敏に時代の推移を見届けた46年間にわたる日記は文化記録として突出した精彩を放つ。著書は『談叢』『譚海』『話園』『学海記縦』『学海画夢』『墨水二十四景記』『吉野拾遺名歌誉』『侠美人』その他多数。<参考文献>学海日録研究会編『学海日録』全12巻,『墨水別墅雑録』

(宮崎修多)

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改訂新版 世界大百科事典 「依田学海」の意味・わかりやすい解説

依田学海 (よだがっかい)
生没年:1833-1909(天保4-明治42)

演劇活動家,劇作家。本名朝宗,別号百川。佐倉藩士の家に生まれ,漢学を学び,明治新政府に仕え,修史局編輯官,文部省権少書記官などを歴任。演劇改良運動に熱心で,劇界と政界との仲介役を果たす。いわゆる文化人が演劇に関係しだす先駆者といえる。9世市川団十郎の活歴劇推進をたすけ,自身でも活歴劇《吉野拾遺名歌誉(よしのしゆういめいかのほまれ)》などを書く。また伊井蓉峰の男女合同改良演劇の企てにも自作を提供した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「依田学海」の意味・わかりやすい解説

依田学海
よだがっかい

[生]天保4(1833).11.24. 江戸
[没]1909.11.27. 東京
漢学者,演劇評論家,劇作家。名は朝宗,字は百川,通称七郎,学海は号。演劇改良の局外指導者の先駆をなした。幼時,佐倉藩の学校で漢学を修め,長じて経史を藤森弘庵の塾に学んだ。儒官となり,権大参事,修史局編輯官,文部書記官などを歴任,1885年退官。以後,小説,戯曲の執筆に従事。書記官時代,松田道之らと 12世守田勘弥や9世市川団十郎に演劇改良の趣旨を吹込み,新富座開場公演『松栄千代田神徳』に参与,団十郎の求古会にも関係した。退官後は演劇改良会創立に参加,改良脚本『吉野拾遺名歌誉』を発表。その後日本演芸矯風会,日本演芸協会にも参加したが,急進的,非妥協的改良論により疎外され,その実現を伊井蓉峰の済美館に託したが,『政党美談淑女之操』上演だけで終った。戯曲に『拾遺後日連枝楠』,評論に『新評戯曲十種』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「依田学海」の解説

依田学海 よだ-がっかい

1834*-1909 幕末-明治時代の漢学者,演劇評論家。
天保(てんぽう)4年11月24日生まれ。下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)藩士。維新後は太政官修史局編修官,文部省少書記官などを歴任。明治18年退官後は演劇改良運動にたずさわり,9代市川団十郎らを後援・指導して劇界の啓蒙(けいもう)につとめた。劇作に「吉野拾遺名歌誉(よしのしゅういめいかのほまれ)」など。明治42年12月27日死去。77歳。名は朝宗。字(あざな)は百川(ひゃくせん)。

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百科事典マイペディア 「依田学海」の意味・わかりやすい解説

依田学海【よだがっかい】

漢学者,演劇評論家,劇作家。本名朝宗。江戸生れ。漢学を学び,維新後文部省書記官などに任じられたが,退官して演劇改良運動に参加し,評論や小説を書いた。《吉野拾遺名歌誉(よしのしゅういめいかのほまれ)》《文覚上人勧進帳》等の脚本や《新評戯曲十種》ほかがある。
→関連項目新小説

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世界大百科事典(旧版)内の依田学海の言及

【演劇改良運動】より

…江戸時代に悪所とみなされた芝居に対して,明治初年から20年代にかけて試みられたさまざまな改良運動をいう。明治政府の欧化政策や社会各分野の新時代の気運に応じて,まず興行者の12世守田勘弥と9世市川団十郎が,依田学海らの協力を得て,歌舞伎を高尚な演劇に革新することをめざした。有職故実家による史実や時代考証の重視,道徳的規範にのっとった人物像の設定など,いわゆる〈活歴劇〉がそれで,1878年6月,勘弥の新富座開場に際して団十郎は《松栄千代田神徳(まつのさかえちよだのしんとく)》を上演したが,民衆の支持を得られなかった。…

※「依田学海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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