日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
依田学海(よだがっかい)
よだがっかい
(1833―1909)
漢学者、演劇評論家。本名は朝宗。字(あざな)は百川(ひゃくせん)、のちこれを本名とした。佐倉藩江戸藩邸に生まれ、青年期に儒学を志し、維新前後は国事に奔走。1870年(明治3)から85年まで官界に身を置き、退官後は演劇改良運動に熱意を注ぎ、9世市川団十郎の活歴(かつれき)劇を指導して劇界の啓蒙(けいもう)に努めると同時に、『吉野拾遺名歌誉(よしのしゅういめいかのほまれ)』『文覚上人勧進帳(もんがくしょうにんかんじんちょう)』などの作品を発表した。91年、男女合同演劇と銘打った済美(さいび)館の開催を推進し、自作『政党美談淑女操(せいとうびだんしゅくじょのみさお)』を上演させるなど新演劇の発展を期したが、あまりに過激な理想論のため孤立した。
[松本伸子]