依田勉三(読み)よだべんぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「依田勉三」の意味・わかりやすい解説

依田勉三
よだべんぞう
(1853―1925)

明治初期の北海道開拓者嘉永(かえい)6年5月15日伊豆国(静岡県)の豪農三男に生まれる。幼少より漢学を修め、のち上京して慶応義塾に学んだ。このころより福沢諭吉(ゆきち)らの影響を受けて開拓事業に関心を抱き、1881年(明治14)初めて北海道を踏査した。翌82年、郷里で晩成(ばんせい)社を組織し、十勝(とかち)国下帯広(おびひろ)村(現帯広市)を移住地に決定。83年より移住を開始したが、冷害洪水で開拓は困難を極めた。86年には念願の牧畜業に着手するなど、多くの事業を試みたが、そのほとんどは失敗した。しかし、十勝原野開拓の礎(いしずえ)となった功績は大きい。大正14年12月12日帯広市で死去

[桑原真人]

『萩原実編『北海道晩成社十勝開発史』(1937・高山印刷/復刻・1974・名著出版)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「依田勉三」の解説

依田勉三 よだ-べんぞう

1853-1925 明治-大正時代の開拓者。
嘉永(かえい)6年5月15日生まれ。慶応義塾にまなび,福沢諭吉らの影響で開拓事業をめざす。明治15年晩成社を結成し,翌年北海道十勝(とかち)の帯広(おびひろ)村(帯広市)で開拓をはじめ,牧畜業などにとりくむ。ほとんどは失敗したが,十勝開発のいしずえとなった。大正14年12月12日死去。73歳。伊豆(いず)松崎(静岡県)出身

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