作人(読み)さくにん

精選版 日本国語大辞典 「作人」の意味・読み・例文・類語

さく‐にん【作人】

〘名〙
田畑を耕作する人。農夫百姓。〔日葡辞書(1603‐04)〕
② 平安時代以後、荘園領主から土地の宛行(あてがい)をうけてこれを請作(うけさく)した者。平安時代には田堵(たと)ともいった。また、この土地について生じた耕作権である作手(さくて)作人職(さくにんしき)などの所有者をいう。この作手所有者は必ずしも直接耕作者には限られず、職権だけを保有する地主的な性格の者も少なくなく、彼らは名主(みょうしゅ)となった。中世にはこの名主の下にあって小作する実際の耕作農民が作人の標準的な形であった。→作人職
※尊勝院文書‐長和三年(1014)二月一九日・筑前国符案「或勘益本田、加公田、雑役触事差煩、因之微力作人、不公責、不本寺役、悉以迯亡」
③ 物を製作する人。工芸品などをつくる人。つくりて。製作者。〔東京夢華録‐巻二・東角楼街巷〕

つくり‐びと【作人】

〘名〙
① 田畑を耕作して、農作物をつくる人。百姓。農夫。さくにん。
※東大寺諷誦文平安初期点(830頃)「農夫(ツクリヒト)終日に作りて一日の価を獲」
② その物を作った人。つくりて。作者作主。さくにん。
※枕(10C終)一九五「物がたりなどこそ悪しう書きなしつればいふかひなく、つくり人さへいとほしけれ」

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デジタル大辞泉 「作人」の意味・読み・例文・類語

さく‐にん【作人】

田畑を耕作する人。
器物甲冑かっちゅうなどの製作者。「仏像の作人
荘園農民の階層の一。荘園領主または名主みょうしゅから名田を請けて耕作する者で、作人自身が名主である場合もある。

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改訂新版 世界大百科事典 「作人」の意味・わかりやすい解説

作人 (さくにん)

10世紀初期ごろ以後,国衙領・荘園の田畠請作(うけさく)し,官物地子を負担したものを作人と称した。彼らの請作権を作手(つくて)/(さくて)という。作人といっても必ずしも直接耕作者ではなく,平安時代の作人はおおむね田堵(たと)と称せられた地主的有力者であった。例えば11世紀末期の東寺領伊勢国川合荘の作人荒木田延能は,大神宮権禰宜で従五位上の位階を有し,吉友・諸枝らの従者を従える田堵であった。田堵の請作関係は,平安末期ごろには名田(みようでん)制に発展するが,その下で名主もまた荘園領主の立場からは作人であった。しかし鎌倉時代以後の作人は,むしろ名田以外の領主直属地(散田(さんでん),一色田(いつしきでん)などという)や名田の一部をあてがわれて耕作した,より下層の小規模農民を指す場合が多い。また鎌倉末期ごろ以降,畿内地域を中心に,同一の土地に対する権利名主職作職,下作職等に分かれる,いわゆる職(しき)の分化の現象が進むが,その場合の作職所有者も作人と呼ばれ,下に下作人がいるとき彼は一種の中間得分取得者であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「作人」の意味・わかりやすい解説

作人
さくにん

中世において土地を耕作する人。10世紀末以降、荘園(しょうえん)・国衙(こくが)領(公領)においてみられる。領主側からみれば、田畠を耕作する農民はすべて作人であるので、史料上にみられる作人は、有力名主(みょうしゅ)層から下層のものまで含み、その階層を一律にきめつけることはできず、不明な点が多い。研究上の用語としては、作人は名主層よりもやや下層で、自己の所有地のみでは自活できず、他の有力名主層の土地あるいは領主直属地を請作(うけさく)している農民層をさすのが一般的である。ただ、その場合も、特定の名主層に隷属しているのではなくて、請作関係は、自由契約的で流動的であったとみられている。作職(さくしき)・作手などとあわせて考えられるべきであるが、その点もまだ十分には解明されていない。なお、作人すなわち直接生産者とは限らない。

[中野栄夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「作人」の意味・わかりやすい解説

作人
さくにん

荘園制のもとで田畑を耕作した農民。名主の下に位し,名田を直接請作 (うけさく) する農民をいう場合もあり,さらにその下にほかの農民を使役している場合もあった。前者の場合は,農民に隷属する下人所従などが田地への土着化によって作人となるものと考えられ,後者の場合は,実態において名主と同様な性格をもつものと考えられる。 (→田堵 )  

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百科事典マイペディア 「作人」の意味・わかりやすい解説

作人【さくにん】

国衙(こくが)領・荘園の耕地を請作(うけさく)する農民。請作地に対する作人の耕作権を作人職,または作職といった。
→関連項目加地子

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旺文社日本史事典 三訂版 「作人」の解説

作人
さくにん

荘園制下における農民の一階層
鎌倉時代の荘民には,名田 (みようでん) の所有者である名主層のほかに「百姓」と呼ばれる小農民がいた。これが作人で,荘園領主・名主から耕地をあてがわれ請作 (うけさく) した。しかし単なる小作人ではなく,自己の下に下作人 (げさくにん) と呼ぶ耕作者を隷属させている場合もあった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「作人」の解説

作人
さくにん

平安中期~中世の田畠の請作者。10世紀以降の公田や荘田の経営は,毎年請作者を募って行われた。請作者である田堵(たと)は作人とも称された。その権利をのちには作職(さくしき)・作人職といい,売買の対象となった。

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世界大百科事典(旧版)内の作人の言及

【一職】より

…土地に対する多種多様な権利((しき))を一元的に支配掌握すること。中世においては一枚の耕地に下作(げさく)職,作職,名主(みようしゆ)職,領主職などの多様な権利が重層的に存在したが,16世紀の畿内地方ではこれらの職を買得などによってひとつにまとめ,領主―作人の一元的な年貢収納関係を作り出す動きが顕在化した。またこれらの動きとは別に織田信長は荒木村重や羽柴(豊臣)秀吉など配下の部将にまとまった地域を〈一職〉に充(あ)て行ったが,これはその地域内の給人(知行地を有する者)の軍事的指揮権,百姓からの夫役(ぶやく)徴収権と職人の動員権など軍事的統率権を与えたものと考えられている。…

【下作人】より

…〈したさくにん〉ともいう。田畠の直接耕作者で,その土地の上級得分収取権者である本所・名主・作人(作職所有者)に対し,それぞれ年貢・加地子(名主得分)・作徳(作職得分)を負担する立場にあった農民のこと。彼がその田畠に対して持つ関係は下作職(げさくしき)と表現され,通常これはすぐ上級の所職である作職の所有者からあてがわれるもので,下作人はこれに対して地子の上納と,それを怠った場合はいつ所職を取り上げられてもいたしかたない旨を誓約した下作職請文(うけぶみ)を提出した。…

【小作制度】より

…小作地の大部分は田畑であるが,屋敷地,山林などの地目も対象となり,一部の地域では牛馬などの家畜も小作の対象となっている。小作人の名称については作人,作子,門百姓,被官,名子などがあり,小作料は掟米,下作米,加地子,余米,入上米,小作奉公などとも呼ばれた。近世の小作制度に関しては,《地方凡例録》では直(じき)小作・別小作・永(えい)小作・名田(みようでん)小作・家守小作・入小作の6種類をあげている。…

【作職】より

…主として鎌倉~戦国期に用いられた語で,作人職(さくにんしき)の略称。ときに作主職とか百姓職と表現される場合もあった。…

【百姓】より

…このように編戸にもとづく公民制,良賤・華夷の差別を維持することが,律令制支配の根幹であったが,一般公民の浮浪・逃亡,奴婢の解放,蝦夷の征服と抵抗が進行するにともなって,律令制はしだいに変質・解体していく。とくに班田収授が行われなくなった公田や初期荘園において,〈土人・浪人を論ぜず〉に農人を定め,彼らを堪百姓,負名(ふみよう),田堵(たと),作人(さくにん)などと呼び,こうして生まれた新たな公民,荘民らが,王朝貴族支配下の百姓となった。彼らは公田,荘田を大小の〈名(みよう)〉に分割して経営し,名田に課せられる官物(かんもつ),地子(じし)の納入責任を負うが,令制下の公民のような人身支配をうけず,移動・居住の自由をみとめられ,百姓治田など私財を所有し,権利侵害や非法苛政に対して訴訟や上訴を行うことができた。…

※「作人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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