佐土原一座(読み)さどはらいちざ

世界大百科事典(旧版)内の佐土原一座の言及

【日向国】より


[文化]
 中央から遠く,しかも山地と海によって交通の便も悪い日向の地であったが,近世中期以降になると,領主の力入れもあって諸藩の城下町および天領を中心に庶民文化がつちかわれた。佐土原藩では延宝期に4代島津忠高が京都文化の移植につとめたが,城下近くの上江(うわえ)におこった佐土原一座は,九州・四国・中国のみならず,時には大坂あたりにも巡業したことが知られている。飫肥藩でも1707年(宝永4)町衆の踊りに武士が加わることが許され,武家は三京踊,町人は飫肥歌舞伎を演じたという。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」