佐味少麻呂(読み)さみのすくなまろ

朝日日本歴史人物事典 「佐味少麻呂」の解説

佐味少麻呂

生年生没年不詳
7世紀後半の官人。名は宿那麻呂とも書く。姓は君。壬申の乱(672)では大海人皇子(のちの天武天皇)方の武将として,二上山の北の大坂(香芝市)に屯し河内からの軍を防ぐ。天武13(684)年11月朝臣姓を賜り,翌年9月国司,郡司,百姓消息を巡察する山陽使者に,持統3(689)年6月には施基皇子らと共に『善言編纂のための撰善言司になる。時に位階は直広肆。

(館野和己)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐味少麻呂」の解説

佐味少麻呂 さみの-すくなまろ

?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏
壬申(じんしん)の乱(672)では,大海人(おおあまの)皇子(のちの天武天皇)側に属し,兵数百人をひきいて近江(おうみ)軍から大坂(奈良県香芝市)をまもる。天武天皇13年朝臣(あそん)の姓(かばね)をあたえられた。持統天皇3年撰善言司に任命された。名は宿那麻呂ともかく。

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