佐佐木信綱(読み)ささきのぶつな

精選版 日本国語大辞典 「佐佐木信綱」の意味・読み・例文・類語

ささき‐のぶつな【佐佐木信綱】

国文学者。歌人。東京帝大卒。三重県出身。佐々木弘綱の長男。もとは「佐々木」だったが、のち「佐佐木」と改めた。号は竹柏園。和歌の歴史的研究、万葉の基礎的研究に尽力。明治和歌革新運動を起こし竹柏会を設立。機関誌「心の花」を刊行した。門下に川田順九条武子がいる。学士院・芸術院会員。文化勲章受章。著作「歌学論叢」「校本万葉集」、歌集「思草」「豊旗雲」。明治五~昭和三八年(一八七二‐一九六三

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「佐佐木信綱」の意味・読み・例文・類語

ささき‐のぶつな【佐佐木信綱】

[1872~1963]歌人・国文学者。三重の生まれ。弘綱の長男。「竹柏会」を主宰、歌誌「心の花」を刊行して多くの歌人を育成。また、万葉集の研究や和歌の史的研究などに業績を残した。文化勲章受章。歌集「思草」、論文集歌学論叢」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐佐木信綱」の意味・わかりやすい解説

佐佐木信綱
ささきのぶつな
(1872―1963)

歌人、国文学者。明治5年6月3日伊勢(いせ)国鈴鹿(すずか)郡石薬師村(三重県鈴鹿市石薬師町)に歌人・国学者弘綱(ひろつな)の長子として生まれた。1888年(明治21)16歳で東京帝国大学古典科卒業後、生涯民間にあって学者、歌人として世に重んじられた。学者としては歌学史、和歌史、歌謡史に新天地を拓(ひら)き、ことに『万葉集』は生涯の研究主題であり、近代における万葉学樹立はこの人によるところが多かった。研究は書誌的、文献的で、この方面の功績、編著も多く、武田祐吉(ゆうきち)、久松潜一らの協力を得た『校本万葉集』(1924~25)の完成は万葉研究に一時代を画した。また『万葉秘林』『南都秘笈(ひきゅう)』等30余種の古鈔本(こしょうほん)、古文書を自費で複製弘布(こうふ)した。また父弘綱と共編『日本歌学全書』12巻(1890~91)に続き、続12巻(1898~1900)を完成し、和歌文学のテキストを出版、学界に貢献した。

 歌人としては、明治の短歌革新に際し竹柏会(ちくはくかい)を組織し機関誌『心の花』を創刊した(1898)。信綱は晩年静岡県熱海(あたみ)西山に隠栖(いんせい)、昭和38年12月2日没に至るまで、国文学研究と作歌を続けた。歌風は古典の正格から新風に移り、主情的である。門下三千といわれ、石榑千亦(いしくれちまた)、木下利玄(りげん)、川田順、片山広子松村みね子)ら俊秀を出した。歌集は『思草』(1903)以下数種、『佐佐木信綱歌集』(1956)に収める。1934年(昭和9)学士院会員、1937年芸術院会員、第1回文化勲章受章。著述二百数十種、また童謡『雀(すずめ)』、唱歌『夏は来ぬ』『勇敢なる水兵』など多く世に歌われた。

[伊藤嘉夫]

 ゆく秋の大和(やまと)の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

『『佐佐木信綱歌集』『佐佐木信綱文集』(1956・竹柏会)』『佐佐木信綱著『作歌八十二年』(1959・毎日新聞社)』『『明治文学全集63 佐佐木信綱他集』(1967・筑摩書房)』『佐佐木幸綱著『佐佐木信綱』(1982・桜楓社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「佐佐木信綱」の意味・わかりやすい解説

佐佐木信綱【ささきのぶつな】

歌人,国文学者。号は竹柏園。三重県生れ。東大古典科卒。父弘綱と《日本歌学全書》を刊行。和歌史および《万葉集》の研究に努め,《校本万葉集》の編纂に中心的役割を果たしたことをはじめ,《日本歌学史》《和歌史の研究》など不朽の業績を残した。また竹柏会を興して歌誌《心の花》を創刊し和歌革新運動に参加。歌集《思草》など多くの著がある。1937年第1回文化勲章。
→関連項目大塚楠緒子木下利玄鶴見和子久松潜一柳原白蓮

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐佐木信綱」の意味・わかりやすい解説

佐佐木信綱
ささきのぶつな

[生]明治5(1872).6.3. 三重,石薬師
[没]1963.12.2. 熱海
歌人,歌学者。 1882年国学者の父弘綱に伴われて上京,高崎正風に入門。 88年 16歳で東京大学古典講習科卒業。以後歌の研究と詠作に進み,父との共著『日本歌学全書』 (12巻,1890~91) を刊行。父の死後「竹柏会」を継承して歌誌『こころの華』 (のち『心の花』と改題) を主宰,落合直文のあさ香社とともに和歌革新に貢献したが,その特色は伝統的手法による穏健で地味な調和的作風にあった。『続日本歌学全書』 (12巻,97~1900) 刊行ののち,歌集『思草 (おもいぐさ) 』 (03) ,『新月』 (12) を経て『常盤木』 (22) にいたり万葉風のおおらかな抒情世界を確立,歌壇の第一人者となった。一方,1905年以来東京大学で『万葉集』,歌学史,和歌史を講じ,『歌学論叢』 (08) ,『近世和歌史』 (23) ,『国文秘籍解説』 (44) ,さらに橋本進吉,武田祐吉らの協力を得た『校本万葉集』 (25巻,24~25) などの著作を残した。『万葉集事典』 (56) は万葉研究の集大成である。芸術院会員。 37年第1回文化勲章受章。 51年文化功労者。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「佐佐木信綱」の意味・わかりやすい解説

佐佐木信綱 (ささきのぶつな)
生没年:1872-1963(明治5-昭和38)

歌人,国文学者。三重県鈴鹿市に,歌人で国学者の弘綱の長男として生まれる。幼年より父の教えを受け,11歳で上京,東京大学古典科を卒業した。おりからの短歌革新運動の一翼を担い,1898年に雑誌《心の花》を創刊,主宰した。《思草》(1903),《新月》(1912),《豊旗雲》(1929),《山と水と》(1951)など12歌集があり,清新,端正な作風に特色がある。1905年から26年間,東大講師として《万葉集》,和歌史を担当。研究書に《歌学論叢》(1908),《日本歌学史》(1910),《和歌史の研究》(1915),《評釈万葉集》(1948-54)等があり,《校本万葉集》(1924)作成の中心人物でもあった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐佐木信綱」の解説

佐佐木信綱 ささき-のぶつな

1872-1963 明治-昭和時代の歌人,国文学者。
明治5年6月3日生まれ。佐々木弘綱の長男。高崎正風(まさかぜ)にまなぶ。明治31年竹柏(ちくはく)会を組織し「こゝろの華」(のち「心の花」)を創刊。研究者としても「日本歌学史」「和歌史の研究」,「校本万葉集」(共編)をのこす。昭和12年第1回文化勲章。昭和38年12月2日死去。91歳。三重県出身。帝国大学卒。号は竹柏園(なぎぞの)。歌集に「思草(おもいぐさ)」「山と水と」など。
【格言など】ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲(「新月」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「佐佐木信綱」の解説

佐佐木信綱
ささきのぶつな

1872〜1963
明治〜昭和期の歌人・国文学者
号は竹柏園。三重県の生まれ。東大卒。歌風は温雅清新。竹柏会を設立し,『心の花』を機関誌として,和歌革新運動の中心となり,多くの門下を育成。また『万葉集の研究』『日本歌学史』などの文献学的研究にも多大の貢献をなした。1937年,第1回文化勲章受章。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐佐木信綱の言及

【心の花】より

…短歌結社雑誌。1898年(明治31)佐佐木信綱によって創刊された月刊誌で,現在ある短歌誌の中では最も長い伝統をもつ。初期には,《こころの華》などと表記されたこともある。…

※「佐佐木信綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android