伴林光平(読み)ともばやしみつひら

精選版 日本国語大辞典 「伴林光平」の意味・読み・例文・類語

ともばやし‐みつひら【伴林光平】

幕末志士国学者通称六郎河内国大阪府)の人。初め僧となったが、加納諸平中村良臣らに師事して国学を修め、還俗(げんぞく)天誅組参加して捕えられ刑死。著「南山踏雲録」など。文化一〇~元治元年(一八一三‐六四

ばんばやし‐みつひら【伴林光平】

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デジタル大辞泉 「伴林光平」の意味・読み・例文・類語

ともばやし‐みつひら【伴林光平】

[1813~1864]江戸末期の勤王家・国学者。河内かわちの人。天誅組てんちゅうぐみに加わり、中山忠光らの大和挙兵に参加、捕らえられて刑死。著「南山踏雲録」など。ばんばやしみつひら。

ばんばやし‐みつひら【伴林光平】

ともばやしみつひら

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朝日日本歴史人物事典 「伴林光平」の解説

伴林光平

没年:元治1.2.16(1864.3.23)
生年:文化10.9.9(1813.10.2)
幕末の志士。通称は六郎。号は斑鳩隠士,岡陵,蒿斎など。河内国志紀郡林村(大阪府藤井寺市)の浄土真宗尊光寺賢静の次男。文政11(1828)年に上京。西本願寺学寮に入り仏学を修める。以後,摂津の中村良臣,僧無盖,因幡飯田秀雄,紀伊の加納諸平,江戸の伴信友らに国学,和歌などを学ぶ。この間に還俗して伴林六郎光平と名乗った。京都を中心に志士と交わり,開国後は攘夷論を唱える。文久1(1861)年に大和中宮寺の家士となり,皇陵の復興に情熱を燃やして山陵調査を行い,朝廷から感謝状を受けている。変名並木春蔵を使って志士活動を展開し,同3年8月天誅組の大和挙兵に加わる。軍参謀兼記録方を務め十津川郷その他に檄文を送って参加者を募る。諸藩兵と戦うが白銀峰や和田峰などで敗れ,京都に向けて逃走中に捕らえられ,翌年同志二十数名と共に京都六角獄において斬刑に処された。大和挙兵参加の始終を獄中で記した『南山踏雲録』その他の著作がある。<参考文献>佐佐木信綱編『伴林光平全集』全1巻,土橋真吉『伴林光平』

(高木俊輔)

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改訂新版 世界大百科事典 「伴林光平」の意味・わかりやすい解説

伴林光平 (ともばやしみつひら)
生没年:1813-64(文化10-元治1)

幕末の勤王僧,国学者。〈ばんばやし〉とも。変名は並木春蔵,斑鳩隠士など。河内国南河内郡道明寺村尊光寺に生まれる。摂津の中村良臣,因幡の飯田秀雄,紀伊の加納諸平,江戸の伴信友などに学ぶ。1862年(文久2)大和国中宮寺の家士となり,山陵修復に尽力。翌年8月天誅組の大和挙兵に加わり,参謀兼記録方を務める。敗軍で逃走中捕らわれ,64年2月京都の獄中で死刑に処された。
執筆者:

伴林光平 (ばんばやしみつひら)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伴林光平」の意味・わかりやすい解説

伴林光平
ばんばやしみつひら

[生]文化10(1813).9.9. 河内
[没]文久4(1864).2.16. 京都
幕末の勤王家,国学者。法名は大雲坊周永,通称は六郎。浄土真宗尊光寺に生れ,天保9 (1838) 年国学僧,無盖の紹介で因幡国の加知弥神社の神官,飯田秀雄を知り国学や和歌を学んだ。これを契機に僧職を退き還俗。和歌山の加納諸平や江戸の伴信友らに師事。文久2 (62) 年大和中宮寺の家士になり,翌年中山忠光らの天誅組の大和挙兵に参加し,記録方,参謀方として奮戦したが敗れ,のち捕えられて同4年2月同志二十余名とともに京都で処刑された。このときの記録が『南山踏雲録』 (63成立) である。ほかに『野山のなげき』 (62成立) がある。

伴林光平
ともばやしみつひら

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伴林光平」の解説

伴林光平 ともばやし-みつひら

1813-1864 江戸時代後期の国学者,歌人。
文化10年9月9日生まれ。もと浄土真宗の僧。飯田秀雄,伴信友らにまなぶ。文久3年天誅組(てんちゅうぐみ)の挙兵に参加するが捕らえられ,4年2月16日京都で刑死。52歳。河内(かわち)(大阪府)出身。本姓は鈴木。通称は六郎。変名は並木春蔵。姓は「ばんばやし」ともよむ。著作に「稲木抄」「南山踏雲録」など。
【格言など】かやの実の嵐に落つるおとづれにまじるも寒し山がらの声(「光平歌集」)

伴林光平 ばんばやし-みつひら

ともばやし-みつひら

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367日誕生日大事典 「伴林光平」の解説

伴林光平 (ともばやしみつひら)

生年月日:1813年9月9日
江戸時代末期の志士
1864年没

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世界大百科事典(旧版)内の伴林光平の言及

【伴林光平】より

…幕末の勤王僧,国学者。〈ばんばやし〉とも。変名は並木春蔵,斑鳩隠士など。河内国南河内郡道明寺村尊光寺に生まれる。摂津の中村良臣,因幡の飯田秀雄,紀伊の加納諸平,江戸の伴信友などに学ぶ。1862年(文久2)大和国中宮寺の家士となり,山陵修復に尽力。翌年8月天誅組の大和挙兵に加わり,参謀兼記録方を務める。敗軍で逃走中捕らわれ,64年2月京都の獄中で死刑に処された。【高木 俊輔】…

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