会賀(読み)えが

日本歴史地名大系 「会賀」の解説

会賀
えが

餌香・恵賀・恵我・衛我とも書かれ、古代に河川名・広域地名などとして「日本書紀」ほかに所見。同書雄略天皇一三年三月条に「天皇、歯田根命をして、資財を露に餌香市辺の橘の本の土に置かしむ。遂に餌香の長野邑ながののむらを以て、物部目大連に賜ふ」、顕宗天皇即位前紀に「旨酒餌香の市にあたひ以て買はぬ」とみえ、崇峻天皇即位前紀は蘇我氏が物部守屋を攻めた時の記事中に「餌香川原に、斬されたる人有り。計ふるに将に数百なり」と記す。さらに天武天皇元年(六七二)七月条の壬申の乱の戦を記すなかに「たから等、高安城たかやすのきより降りて衛我河を渡りて、韓国と河の西に戦ふ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

普及版 字通 「会賀」の読み・字形・画数・意味

【会賀】かいが

皆で祝う。

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