会田安明(読み)あいだやすあき

精選版 日本国語大辞典 「会田安明」の意味・読み・例文・類語

あいだ‐やすあき【会田安明】

江戸中期の数学者。号は自在。名は「やすあきら」とも。出羽の人。江戸に出て本田利明に学ぶ。関流と論争して二〇年に及び、最上(さいじょう)流を創始主著「改精算法」「算法天生法指南」。延享四~文化一四年(一七四七‐一八一七

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デジタル大辞泉 「会田安明」の意味・読み・例文・類語

あいだ‐やすあき〔あひだ‐〕【会田安明】

[1747~1817]江戸後期和算家出羽の人。号は自在亭。最上さいじょう流の祖。せき学者と論争した。著「算法天生法指南」。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「会田安明」の意味・わかりやすい解説

会田安明
あいだやすあき
(1747―1817)

江戸後期の和算家。名は「やすあきら」とも読み、安旦と書くこともある。山形に生まれる。幼名重松。若くして郷里で岡崎安之(やすゆき)について数学を学ぶ。学んだのは天元演段(天元術を使って問題を解く)までである。のち江戸に出て幕臣の株を買い、鈴木彦助と称し、各地の治水工事に従事した。同僚とともに職を辞め、会田姓に復して、数学によって身をたてようとした。当時和算の第一人者とよばれた関流の藤田貞資(さだすけ)の門に入ろうと思い、その高弟神谷定令のつてによって貞資に面会を求めたが、ささいなことから口論になり、そのまま立ち戻った。そのころ藤田貞資の著『精要算法』が良書として有名であったので、これを標的として『改精算法』を著してこの書を攻撃した。藤田派はこれに応じて逆批判の書を出版し、安明はまた再批判の書を刊行するなど、その争いは20余年に及んだ。この争いの間に安明の学力はめきめき上達し、ついに最上(さいじょう)流開祖を名のるようになった。最上流の名はその生地最上(もがみ)から出ており、また最上(さいじょう)の流儀という意味もある。著書千数百巻、そのうち版になったのは『当世塵劫記(じんごうき)』『算法古今通覧』『算法天生法指南』などである。このうち『算法天生法指南』は1810年(文化7)の刊で、点竄(てんざん)術を詳細に説明した最初の書物である。代表的な公式を系統的に解き、一種の公式集の観がある。この後、関流でも点竄術の自習書を出したが、『算法天生法指南』はこれらのうちでもきわめて系統的で出色のものである。

[大矢真一]

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改訂新版 世界大百科事典 「会田安明」の意味・わかりやすい解説

会田安明 (あいだやすあき)
生没年:1747-1817(延享4-文化14)

江戸中期の数学者。通称算左衛門,字は子貫,号は自在亭という。山形の七日町に生まれ,山形で数学を学ぶ。さらに数学を学ぶために江戸へ出る。そのころ有名であった藤田貞資の弟子になろうとしたが,感情のもつれから成功しなかった。会田は藤田の著書《精要算法》(1781)を訂正した《改精算法》(1785)を出版した。この出版により,藤田の弟子の神谷定令によるきびしい攻撃を受けた。会田は自分の塾を最上流と名づけ,藤田の関流と対抗した。その結果,関流と最上流とで20年もの間,互いに相手を非難する数学書を送って論戦した。会田は,数学者というよりは数学教育者といったほうがよく,多くの弟子を養成し,弟子から慕われた。著書は多く広い分野にわたっている。自叙伝《自在物談(語)》がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「会田安明」の意味・わかりやすい解説

会田安明
あいだやすあき

[生]延享4(1747).出羽,七日町村
[没]文化14(1817).江戸
江戸時代後期の和算家。通称算左衛門,字は子貫,号は自在亭。 16歳のとき,十日町の中西流岡崎安之の門に入って算術を学んだ。 23歳のとき江戸に出て,御家人株を買って御普請役として利根川,鬼怒川などの改修工事に従事したが,天明7 (1787) 年役を免じられ,のち,数学者として生きた。初め本多利明に師事したといわれている,関流に対抗して最上 (さいじょう) 流という一派を立てた。関流の藤田貞資,その門下の神谷定令らとの 20年にわたる論戦は有名である。楕円の周を求める算法,楕円規,対数の理論,零約術に会田の創意があるとされている。刊行されたものは『改精算法』『当世塵劫記』『算法古今通覧』『算法天生法指南』など少数であるが,稿本は 2000冊余に及ぶ。

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百科事典マイペディア 「会田安明」の意味・わかりやすい解説

会田安明【あいだやすあき】

江戸中期の和算家。出羽(でわ)山形に生まれ,23歳のとき江戸に出て御家人の株を買い,治水工事に従事,のち扶持を離れた。本多利明に数学を学ぶ。関流の藤田貞資の《精要算法》を訂正した《改正算法》(1785年)を出版して藤田の高弟神谷定令の攻撃をうけ,以後関流と20年余にわたって論争,最上流を立てた。多くの弟子を育て千数百巻の著書を書いたが,刊行されたのは《算法天生法指南》ほか数種。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「会田安明」の解説

会田安明 あいだ-やすあき

1747-1817 江戸時代中期-後期の和算家。
延享4年2月10日生まれ。岡崎安之(やすゆき)にまなび,江戸で一時,幕府につかえる。天明5年「改精算法」を出版して関流の藤田貞資(さだすけ)を批判し,以後論戦は20年におよぶ。最上流(さいじょうりゅう)開祖を称した。文化14年10月26日死去。71歳。出羽(でわ)山形出身。姓は一時,鈴木。字(あざな)は子貫。通称は算左衛門,彦助。号は自在亭。名は安旦ともかく。編著に「算法天生法指南」など。

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367日誕生日大事典 「会田安明」の解説

会田安明 (あいだやすあき)

生年月日:1747年2月10日
江戸時代中期の和算家
1817年没

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世界大百科事典(旧版)内の会田安明の言及

【算額】より

…写本では17世紀末から,刊本では藤田貞資の《神壁算法》(1789)で,以後次々と出版された。算額の問題による論争も多く,有名なのは関流の藤田貞資と最上流の会田安明とで,前後20年以上も論戦が続いた。算額は日本中どこにでもあったが,現存するのは約800面である。…

【魔方陣】より

…久留島義太は桂馬飛びの方法と簡単な並べ方を,安島直円はフランクリン型を発見した。山路主住の五方陣,会田安明の四方陣変換の研究が著しい。【平山 諦】
【中国】
 中国での歴史は古く縦横図とよばれた。…

【和算】より

…この書は代表的な数学遊戯の書として今に至るまで読まれている。そのころ,山形から江戸に出て,数学者になろうと考えた会田安明(1747‐1817)は,藤田貞資の弟子になろうとして果たせず,藤田の名著《精要算法》を批判した《改精算法(かいせいさんぽう)》(1785)を出版したことから,藤田の属する関流と,会田が起こした最上流(さいじようりゆう)とで論戦が始まった。この論戦は約20年続き,これによって討論らしきものができかかった。…

※「会田安明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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