会津小鉄(読み)アイヅノコテツ

デジタル大辞泉 「会津小鉄」の意味・読み・例文・類語

あいづ‐の‐こてつ〔あひづ‐〕【会津小鉄】

[1845~1885]江戸末期の侠客きょうかく本名、上坂仙吉。会津藩主松平容保まつだいらかたもり京都守護職の時、その配下に属して人夫徴集や雑用請負に当たった。

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朝日日本歴史人物事典 「会津小鉄」の解説

会津小鉄

没年:明治18.3.24(1885)
生年弘化1(1844)
幕末明治期の侠客。京都守護職会津藩中間部屋の部屋頭。本名上坂仙吉,幼名鉄五郎。生国は不明。大坂四天王寺を母親と放浪し,母親は雪駄直し屋の女房となる。11歳のとき,家出し江戸に下って渡り中間になり,17歳で再び関西に戻る。文久2(1862)年,会津藩主松平容保が京都守護職として上洛した際に会津部屋に入りこみ,小柄なところから小鉄と異名をとる。全身70カ所の刀傷だらけで,左手親指と人差し指しかなかったほどの暴れ者。慶応3(1867)年,喧嘩で人を殺し処刑されるところを同4年の徳川慶喜上洛で特赦となり,上坂音吉親分から盃をもらって一家を構える。明治16(1883)年の博徒狩りで捕らえられたときには洛南吉田村に城砦のような賭場を構え,翌17年8月の出獄祝いには7500人の子分が集まったという。18年3月には小鉄鉄道馬車会社を企画したが,実現せぬままに死んだ。<参考文献>藤田五郎『任侠百年史』

(平岡正明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「会津小鉄」の解説

会津小鉄 あいづの-こてつ

1845-1885 幕末-明治時代の侠客(きょうかく)。
弘化(こうか)2年生まれ。京都守護職となった陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩主松平容保(かたもり)の下で,会津方軍夫を指揮。維新後は京都,大阪に大勢力をきずき,清水次郎長(しみずの-じろちょう)らとならび称された。明治18年3月19日死去。41歳。本名は上坂仙吉。

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