伏見山荘(読み)ふしみさんそう

世界大百科事典(旧版)内の伏見山荘の言及

【伏見】より

…伏見山は木幡(こはた)山ともいい,この地がのちに豊臣秀吉の伏見城となり,さらに明治天皇陵となった。その南麓に延久年間(1069‐74)藤原頼通の子,橘俊綱が造営した伏見山荘は1093年(寛治7)焼失したが,高陽(かや)院,石田殿とともに三名勝とされていた。 山荘に付属した土地は藤原氏の荘園であったらしく,1160年(永暦1)後白河院庁下文(くだしぶみ)には,〈彼庄領主俊綱以下,雖多其数,数十余年〉とある。…

※「伏見山荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」