伊賀士丁(読み)いがしちよう

日本歴史地名大系 「伊賀士丁」の解説

伊賀士丁
いがしちよう

[現在地名]徳島市伊賀町いがちよう二―三丁目

山東麓の南北に続く武家地。西富田にしとみだの西端に位置する。伊賀士は伊賀衆ともいわれる蜂須賀家が召抱えた徒士格の忍び役で、その拝領屋敷が置かれたことから伊賀士丁と称した。寛永八―一三年(一六三一―三六)の忠英様御代御山下画図では当丁一帯はまだ宅地化されていないが、天和三年(一六八三)の渭津城下之絵図では町割が進展し、歩行の者および中間の屋敷地となっていた。文化九年(一八一二)島々丁名改目録では富田のなかに丁名がみえ、瑞巌ずいがん(現東山手三丁目)から観音寺(現勢見町二丁目)境までと記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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