伊豆山神社(読み)イズサンジンジャ

デジタル大辞泉 「伊豆山神社」の意味・読み・例文・類語

いずさん‐じんじゃ〔いづサン‐〕【伊豆山神社】

静岡県熱海市伊豆山にある神社。祭神は伊豆山神。走湯権現そうとうごんげん伊豆山権現

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精選版 日本国語大辞典 「伊豆山神社」の意味・読み・例文・類語

いずさん‐じんじゃ いづサン‥【伊豆山神社】

静岡県熱海市伊豆山にある神社。旧国幣小社。伊豆山神・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)をまつる。もと伊豆権現、走湯(そうとう)山権現と称し、箱根権現箱根神社)とともに二所と並び称された。源頼朝以来、鎌倉・江戸幕府の崇敬あつく、関東の総鎮守といわれた。伊豆権現。走湯(はしりゆ)権現。

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日本歴史地名大系 「伊豆山神社」の解説

伊豆山神社
いずさんじんじや

[現在地名]熱海市伊豆山

伊豆山山腹に立地し、社殿は海浜のはしり湯より約九〇〇段余の石階を上がる。祭神は伊豆山神。旧国幣小社。祭神については近世まで火牟須比命を主神とし、伊邪那岐命・伊邪那美命を相殿とする三柱説、瓊瓊杵命説、異国の霊神説など多くの祭神説があった。古くは伊豆山権現・伊豆大権現・走湯権現走湯山・伊豆山などとよばれた。「走湯山縁起」によると、応神二年相模国「唐浜」の海に現れた円鏡を同四年松葉仙人が日金ひがね(七七四メートル)に祀ったのが始まりで、その後神鏡は温泉を湧出して衆生を救うため現れたと託宣した。承和三年(八三六)には甲斐国八代やつしろ郡の修行者賢安が走湯権現の霊夢により千手観音像を得て走湯山東明とうみよう(現廃寺)をつくったと伝える(伊呂波字類抄)。当社は「延喜式」神名帳に載る田方たがた郡の「火牟須比ホノムスヒノ命神社」、「伊豆国神階帳」に載る正一位千眼大菩薩に比定する説もある。また火牟須比命神社を当社の摂社雷電らいでん社に比定する説もある。「新猿楽記」では走湯山は山岳修行の霊場の一つにあげられ、「梁塵秘抄」でも四方の霊験所の一つとなっている。永万二年(一一六六)四月一六日、惟鑑は走湯山の東谷ひがしだに「上松尾谷」で某書を書写している(「某書奥書」金沢文庫蔵)。治承四年(一一八〇)八月一八日、北条政子は伊豆山の法音尼に対し、走湯権現や「雷電」などに般若心経を奉納するよう命じた(吾妻鏡)。翌一九日、相模国から北条ほうじよう(現韮山町)へ至る往還路にある走湯山が武士らの狼藉を受けているとの衆徒の訴えに対し、源頼朝は世上無為ののち伊豆一所・相模一所を同山に寄進することを約束した。同日から九月二日まで政子は同山覚淵の住房に身を寄せ、その後「秋戸郷」へ移った(同書)。覚淵は伊豆山権現の別当寺密厳みつごん院を創建している。

鎌倉に入った頼朝は治承四年一〇月一一日、走湯山住侶良暹を鎌倉に招き、翌養和元年(一一八一)一〇月六日には同禅睿を鎌倉鶴岡若宮(鶴岡八幡宮)の長日大般若経供僧に補任した(吾妻鏡)。同年八月二九日、頼朝は伊豆山などに大般若経を転読させている(同書)。寿永二年(一一八三)七月二五日、相模国「長墓郷」が走湯山上常行堂に寄進される(某寄進状写「走湯古文一覧」伊豆山神社蔵)。頼朝は文治元年(一一八五)九月二五日以前に馬宮まみや(現函南町)を走湯山に寄進し(玉葉)、同三年四月二日には走湯山などに後白河法皇の病気平癒の百部大般若経転読を命じた(吾妻鏡)

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改訂新版 世界大百科事典 「伊豆山神社」の意味・わかりやすい解説

伊豆山神社 (いずさんじんじゃ)

静岡県熱海市伊豆山に鎮座。火牟須比(ほむすび)命・伊邪那岐(いざなき)命・伊邪那美(いざなみ)命を伊豆山神としてまつる。社伝によると,古くは日金山(十国峠)の頂にまつられたのが,後に,現在の場所に移されたものという。《延喜式》に見える〈火牟須比命神社〉が,当社のことと思われるが,温泉の霊験をまつったものといえる。中世以降は,伊豆山権現とも走湯山(そうとうさん)権現とも呼ばれた。また箱根神社とともに二所権現と称され,源頼朝の篤い崇敬が寄せられた。以後鎌倉時代を通じ歴代将軍の二所詣が行われた。大祭は4月15日。神幸には3基の神輿が浜宮まで渡御し,本社および浜宮では神女舞が奉納される。11月10日には温泉を感謝する献湯祭が行われる。宝物としては,後奈良天皇宸筆の般若心経,古剣,経塚出土品,伊豆山記,走湯山記,奉納和歌帖,古文書等がある。旧国幣小社。
走湯山
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊豆山神社」の意味・わかりやすい解説

伊豆山神社
いずさんじんじゃ

静岡県熱海(あたみ)市伊豆山に鎮座。火牟須比命(ほむすびのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)を、伊豆山神として祀(まつ)っている。孝昭(こうしょう)天皇の代に日金(ひがね)山(十国(じっこく)峠)に創祀(そうし)され、のちに現在地に遷座したと伝えられている。『延喜式(えんぎしき)』にみえる火牟須比命神社が当社であるといわれているが、中世以降は伊豆山権現(ごんげん)、走湯(そうとう)山権現といわれた。また源頼朝(よりとも)が深い崇敬を寄せて以来、箱根権現(箱根神社)とともに二所権現ともいわれ、鎌倉、室町幕府に厚遇された。もとは「走湯(はしりゆ)」といわれる、豊かな湯量をつかさどる神として信仰されたとみられる。1873年(明治6)に県社、1928年(昭和3)に国幣小社となった。例祭は4月15日。宝物として、国の重要文化財の『般若心経(はんにゃしんぎょう)』(後奈良(ごなら)天皇宸筆(しんぴつ))、古剣1口ほか、経塚出土品などがある。

[落合偉洲]

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デジタル大辞泉プラス 「伊豆山神社」の解説

伊豆山神社

静岡県熱海市の伊豆山にある神社。祭神は伊豆山神(火牟須比命(ほむすびのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと))。古くは伊豆山権現、走湯(そうとう)山権現などとも呼ばれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊豆山神社」の意味・わかりやすい解説

伊豆山神社
いずさんじんじゃ

熱海市伊豆山に鎮座。伊豆権現,走湯権現ともいう。元国幣小社。祭神は伊豆山神,イザナギノミコト,イザナミノミコト。例祭4月 15日。源頼朝以来関東における武家が崇拝した古社として有名。

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百科事典マイペディア 「伊豆山神社」の意味・わかりやすい解説

伊豆山神社【いずさんじんじゃ】

走湯山

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世界大百科事典(旧版)内の伊豆山神社の言及

【神木】より

…松,杉,ヒノキなどの常緑樹が一般的だが,神社によって特定の神木がある。有名なものに,京都の伏見稲荷大社や奈良の大神神社の験(しるし)の杉,福岡の香椎宮の綾杉,太宰府天満宮の梅,北野天満宮の一夜松(ひとよまつ),滋賀の日吉大社の桂,熊野大社,伊豆山神社の梛(なぎ),新潟の弥彦神社の椎などがある。奈良春日大社の神木(榊に神鏡を斎(いわ)いつけたもの)は中世に何度か興福寺の衆徒が春日大明神の御正体と称して担ぎ出し,朝廷に強訴(ごうそ)する手段とされた。…

【走湯山】より

…静岡県熱海市伊豆山に鎮座する伊豆山神社の古名に由来する名称で,伊豆山神社は伊豆山権現,走湯権現,略して走湯山ともいった。真言宗般若院は同社の別当寺である。…

※「伊豆山神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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