伊藤小太夫(2代)(読み)いとう・こだゆう

朝日日本歴史人物事典 「伊藤小太夫(2代)」の解説

伊藤小太夫(2代)

没年元禄2.9.21(1689.11.2)
生年:生年不詳
江戸前期の若女形の歌舞伎役者上方から一時江戸へ下ったが,上京して延宝8(1680)年,京北側芝居で初代嵐三右衛門と共演した「吉野身請」でその名を高め,その後の評判記でもこの興行のことがしばしば触れられている。再び江戸に下って活躍,「面体みやびやかにして女の所作芸うつらぬといふ事なし」といわれ,濡れ事,愁嘆の台詞名人で,傾城役を得意とした。彼が江戸で着た小袖模様は「小太夫鹿の子」と呼ばれ,庶民の間で大流行した。没後,弟子がその名を継ぎ若女形として舞台を勤めていたが,元禄年間(1688~1704)以降,記録をみない。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『日本庶民文化史料集成』6巻

(北川博子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤小太夫(2代)」の解説

伊藤小太夫(2代) いとう-こだゆう

1651?-1689 江戸時代前期の歌舞伎役者。
慶安4年?生まれ。初代伊藤小太夫の門人で初代の死後,2代をつぐ。万治(まんじ)ごろから上方,江戸で若女方として知られる。延宝6年京都での「吉野身受」の演技が著名。傾城(けいせい)役を得意とし,着用した鹿子(かのこ)染め衣装が「小太夫鹿子」といわれ流行した。元禄(げんろく)2年9月21日死去。39歳?京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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