伊江島
いえじま
沖縄県,沖縄島北西部の本部半島の西約 5kmにある島。1島で伊江村を構成する。隆起サンゴ礁島で楕円形をなし,全島平坦な石灰岩台地。中央東寄りに古生層チャートからなる標高 172mの伊江タッチュー(別称城山〈ぐすくやま〉)がそびえ,遠望では巨大な艦船が浮かぶ姿のように見える。北海岸には 60mあまりの絶壁があり,南側は緩傾斜。南面傾斜地が村の中心地。第2次世界大戦の際は飛行場があり,激戦地であった。タバコ,キク栽培のほか,肉牛飼育などが行なわれる。面積 22.77km2。人口 5110(2005)。
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伊江島
いえじま
沖縄県国頭(くにがみ)郡伊江村の島。沖縄本島、本部半島(もとぶはんとう)の北西9キロメートルに位置する。面積22.77平方キロメートル。最高点172メートルの城(ぐすく)山(立塔(たっちゅう))が古生層チャートからなる残丘のほかは、琉球(りゅうきゅう)石灰岩から構成される海岸段丘の地形が主体をなす。全体に低平な台地状の島である。人口4935(2009)。
[目崎茂和]
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伊江島【いえじま】
沖縄島北部,本部半島の北西10kmに浮かぶ島。島全体が国頭郡伊江村に属する。面積22.76km2,東西に細長い形状をなす。農業を主に行ない,葉巻,タバコなどを産する。島の中央東寄りに,航海の目標で〈伊江島タッチュー〉とも呼ばれる城山(標高172m)がある。南岸に港湾施設があり,対岸の本部町との間にフェリー航路が通じる。
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いえ‐じま【伊江島】
沖縄県、沖縄
本島の本部
(もとぶ)半島西方海上にある島。
沖縄戦の激戦地。
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デジタル大辞泉
「伊江島」の意味・読み・例文・類語
いえ‐じま【伊江島】
沖縄県、沖縄本島の西にある島。沖縄戦の激戦地。面積の6割は米軍用地。
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いえじま【伊江島】
沖縄県,沖縄島(本島)北部,本部(もとぶ)半島の北西10kmにある島。1島で国頭(くにがみ)郡伊江村をなす。人口5131(1995)。面積約23km2,東西8.4km,南北3kmの細長い島。琉球石灰岩で被覆される。島の主要部は高度50m以下の石灰岩台地で,南側に緩傾斜するため北側の海岸は断崖絶壁をなし,一大奇観を呈する。南側の海岸は砂丘も見られ,港湾の施設があって対岸の本島の本部町との間に定期のフェリー船が通じ,観光客が多い。
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伊江島
いえじま
沖縄島本部半島の西端備瀬崎の西方四・五キロに位置する低島(サンゴ島)。方音ではイージマという。島は中央部がやや狭まった落花生の莢のような形をしている。東西八・二キロ、南北二・六―三・六キロほど、面積は二二・七三平方キロ。最高点は島の東寄りに屹立する円錐形の城山で、標高は一七二・二メートル。この城山は中生代のチャートなどから構成されるが、それ以外の大部分の地域は第四紀の琉球石灰岩で構成され、標高八〇メートル以下の海岸段丘である。北海岸はサンゴ礁がほとんど発達せず、海崖が縁取っている。とくに中央部のくびれた部分は三〇―六〇メートルの急崖をなし、崖下にはワジーとよばれる湧泉がある。一方、南海岸には大きな海崖はなく、サンゴ礁・砂浜・海岸砂丘の発達がよい。
「海東諸国紀」の琉球国之図に「泳島」とある。慶長一六年(一六一一)の樺山久高他四名連署琉球納物目録(旧記雑録)に伊恵島とあり、正保国絵図にも伊恵島とみえる。「喜安日記」に「伊江按司」がみえ、「おもろさうし」には「いえ」「いゑ」とある。冊封使の記録では嘉靖一三年(一五三四)に来琉した陳侃の「使琉球録」に「移山」、康熙六〇年(一七二一)刊行の「中山伝信録」には「椅山」「椅世麻」と記される。移・椅はイの音で、世麻はシマの音。欧米人の記録では、一七九七年七月一二日に島の沖合を通過したプロビデンス号の艦長ブロートンが著した「北太平洋航海記」には、シュガー・ローフ(sugar loaf 小円錘形の棒砂糖)を載せた島と記される。ベイジル・ホールの「朝鮮・琉球航海記」にはSugar Loaf Island、「ペリー艦隊日本遠征記」所載の地図にはSugar Loaf or Ee Island(シュガー・ローフ島またはエー島)とみえる。
現在島の北西部を米軍基地(敷地面積は島全体の三五パーセントに相当する八・〇二平方キロ)が占拠し、集落の大部分は島の東半分の南海岸側に分布している。人口は一九六〇年(昭和三五年)に七千四九二人、二〇〇〇年(平成一二年)の国勢調査では五千一一二人。就業者の約三五パーセントが農業に従事、高付加価値の先進的農業を営む島として知られている。主要農産物は葉タバコ、キク、肉用牛など。一時期盛んだった落花生は現在はほとんど栽培されていない。本部半島の本部港との間に所要時間三〇分のフェリーが一日四往復就航し(夏期は五往復)、年間約一一万人の観光客が訪れる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報