朝日日本歴史人物事典 「伊東燕晋(初代)」の解説
伊東燕晋(初代)
生年:宝暦11(1761)
江戸後期の江戸の講釈師伊東派の祖。通称仙右衛門。その住まいから湯島の燕晋と呼ばれた。すこぶる謹厳で常に羽織袴で演じ,内容も御家騒動物や世俗の講釈をせず,もっぱら「源平盛衰記」「川中島軍記」などの軍談に限られていた。博識で文才もあり,当時の出来事を書きとめた『撃攘余録』などの著作を残す。文化4(1807)年非人頭車善七らと争って,その支配を脱した。このときに従来の移動式高座(置台)を廃して常設とすることも許された。将軍家斉に愛され,たびたび御前講演をした。<参考文献>関根黙庵『講談落語今昔譚』(改題復刻『講談落語考』1960)
(吉沢英明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報