伊丹 十三(読み)イタミ ジュウゾウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「伊丹 十三」の解説

伊丹 十三
イタミ ジュウゾウ


職業
映画監督 俳優

本名
池内 義弘(イケウチ ヨシヒロ)

別名
通称=池内 岳彦

生年月日
昭和8年 5月15日

出生地
京都府 京都市右京区鳴滝泉谷

出身地
愛媛県

学歴
松山南高〔昭和29年〕卒,舞台芸術学院卒

経歴
昭和35年大映入社。“一三”の芸名で「嫌い嫌い嫌い」で俳優として主役デビュー。以後脇役に回り、36年フリーとなる。米国映画「北京の55日」(38年)「ロードジム」(40年)に出演し、国際的俳優として活躍。42年“十三”と改名。その後の映画出演作に「もう頬づえはつかない」「細雪」「家族ゲーム」「草迷宮」ほか。多芸多才ぶりはつとに知られ、エッセイスト、翻訳家であり、商業デザイン、育児・料理・服飾評論なども手がけたこともある。59年自ら脚本を書き、演出し、妻で女優の宮本信子を主役にした映画「お葬式」で監督デビュー。毎日映画コンクールをはじめ、数々の賞を独占した。その後も宮本を主役に「タンポポ」「マルサの女」「マルサの女2」「あげまん」「大病人」「静かな生活」「スーパーの女」などを監督、好評を得る。63年にはホラー映画「スウィートホーム」の製作を担当。平成4年「ミンボーの女」発表後、暴漢に襲われ負傷(8年9月犯人は実刑判決となる)。この事件もとに、9年「マルタイの女」を製作。また同年三谷幸喜脚本の「3番テーブルの客」でテレビドラマを初演出した。著書に「女たちよ!」「ヨーロッパ退屈日記」「日本世間噺大系」「自分たちよ!」「『マルサの女』日記」「フランス料理と私と」、訳書に「主夫と生活」など多数

受賞
キネマ旬報賞助演男優賞(昭58年度)「家族ゲーム」「細雪」,藤本賞(第4回)〔昭和59年〕「お葬式」,ブルーリボン賞監督賞(第27回・昭59年度)「お葬式」,山路ふみ子賞(第8回)〔昭和59年〕,日本アカデミー賞監督賞・脚本賞(第8回・昭59年度)〔昭和60年〕「お葬式」,キネマ旬報賞日本映画作品賞・監督賞(昭59年度)「お葬式」,キネマ旬報賞監督賞・脚本賞(昭62年度)「マルサの女」,ゴールデン・アロー賞映画賞(第25回)〔昭和63年〕「マルサの女」「マルサの女2」,日本アカデミー賞監督賞・脚本賞(第11回・昭62年度)〔昭和63年〕「マルサの女」,日本映画テレビプロデューサー協会賞特別賞〔平成5年〕,ゴールデン・アロー賞映画賞(第30回)〔平成5年〕「ミンボーの女」 毎日映画コンクール監督賞(第39回・昭59年度)「お葬式」,毎日映画コンクール脚本賞(昭62年度)「マルサの女」

没年月日
平成9年 12月20日 (1997年)

家族
父=伊丹 万作(映画監督),妻=宮本 信子(女優),長男=池内 万作(俳優),二男=伊丹 万平(俳優)

親族
義弟=大江 健三郎(小説家)

伝記
自死という生き方―覚悟して逝った哲学者仮面の女と愛の輪廻伊丹十三の映画日本映画はアメリカでどう観られてきたか襲撃 伊丹十三監督傷害事件伊丹十三映画の舞台裏―大病人の大現場 須原 一秀 著虫明 亜呂無 著「考える人」編集部 編北野 圭介 著安田 雅企 著立木 義浩 撮影(発行元 双葉社清流出版新潮社平凡社三一書房集英社 ’09’09’07’05’95’93発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「伊丹 十三」の解説

伊丹 十三
イタミ ジュウゾウ

昭和・平成期の映画監督,俳優



生年
昭和8(1933)年5月15日

没年
平成9(1997)年12月20日

出生地
京都府京都市右京区鳴滝泉谷

出身地
愛媛県

本名
池内 義弘(イケウチ ヨシヒロ)

別名
通称=池内 岳彦

学歴〔年〕
松山南高〔昭和29年〕卒,舞台芸術学院卒

主な受賞名〔年〕
キネマ旬報賞助演男優賞(昭58年度)「家族ゲーム」「細雪」,ブルーリボン賞監督賞(第27回・昭59年度)「お葬式」,山路ふみ子賞(第8回)〔昭和59年〕,日本アカデミー賞監督賞・脚本賞(第8回・昭59年度)〔昭和60年〕「お葬式」,キネマ旬報賞日本映画作品賞・監督賞(昭59年度)「お葬式」,キネマ旬報賞監督賞・脚本賞(昭62年度)「マルサの女」,ゴールデン・アロー賞映画賞(第25回)〔昭和63年〕「マルサの女」「マルサの女2」,日本アカデミー賞監督賞・脚本賞(第11回・昭62年度)〔昭和63年〕「マルサの女」,ゴールデン・アロー賞映画賞(第30回)〔平成5年〕「ミンボーの女」

経歴
昭和35年大映入社。“一三”の芸名で「嫌い嫌い嫌い」で俳優として主役デビュー。以後は脇役に回り、36年フリーとなる。米国映画「北京の55日」(38年)「ロードジム」(40年)に出演し、国際的俳優として活躍。42年“十三”と改名。その後の映画出演作に「もう頰づえはつかない」「細雪」「家族ゲーム」「草迷宮」ほか。多芸多才ぶりはつとに知られ、エッセイスト、翻訳家であり、商業デザイン、育児・料理・服飾評論なども手がけたこともある。59年自ら脚本を書き、演出した映画「お葬式」で監督デビュー。毎日映画コンクールをはじめ、数々の賞を独占した。その後も「タンポポ」「マルサの女」「マルサの女2」「あげまん」「大病人」「静かな生活」「スーパーの女」などを監督、好評を得る。63年にはホラー映画「スウィートホーム」の製作を担当。平成4年「ミンボーの女」発表後、暴漢に襲われ負傷(8年9月犯人は実刑判決となる)。この事件をもとに、9年「マルタイの女」を製作。また同年三谷幸喜脚本の「3番テーブルの客」でテレビドラマを初演出。著書に「女たちよ!」「ヨーロッパ退屈日記」「日本世間噺大系」「自分たちよ!」「『マルサの女』日記」「フランス料理と私と」、訳書に「主夫と生活」など多数。夫人は女優の宮本信子。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「伊丹 十三」の解説

伊丹 十三 (いたみ じゅうぞう)

生年月日:1933年5月15日
昭和時代;平成時代の映画監督;俳優
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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