日本大百科全書(ニッポニカ) 「仮名草子」の意味・わかりやすい解説
仮名草子
かなぞうし
近世初期の慶長(けいちょう)年間(1596~1615)から井原西鶴(さいかく)の『好色一代男』が刊行された1682年(天和2)までの約80年間に著作・刊行された、多少とも文学性の認められる散文作品で、中世の御伽(おとぎ)草子の後を受け、西鶴の浮世草子に接するものをいう。しかし学術用語としてはあいまい不完全な名称で、古く室町時代にこの語が記録にあり、また西鶴の作品をも当時は仮名草子と称していた。語の意味は、真名(漢字)本に対する仮名本という用字による区別にすぎない。当時の出版書肆(しょし)によって編集された書籍目録の分類にみられる仮名とか双紙とかいわれていたものがこれに該当すると考えられる。結局、漢籍仏典医書などの学術書でなく、平仮名で書かれた娯楽・啓蒙(けいもう)的な読み物といえよう。これらは写本で行われたものもあったが、近世初期以来の出版に取り上げられて多く流布した。したがって、従来の文学作品と異なった条件として考える必要がある。
仮名草子の作者はごくわずかしか知られていない。大部分が作者不詳であり、さいわい作品に署名があったり、書籍目録に作者名が記されていても、伝記を明らかにしえない場合が多い。作者層は、浪人・民間の国学者、漢学者、僧侶(そうりょ)、医師、俳諧(はいかい)師などであったと考えられる。読者は、ごく初期は上層階級であったが、のちに印刷術の発達とともに庶民階級にまで読者層が拡大した。
研究史としては、明治の後半期に水谷不倒(ふとう)、藤岡作太郎らによって仮名草子が研究対象として取り上げられ、今日に及んでいる。いわゆる仮名草子と称される作品群は、その内容がきわめて多種多様で多方面に分岐し交錯しているため、当然なんらかの整理を加える必要があった。そこで分類の作業を中心に研究が進められ、第二次世界大戦前は潁原(えばら)退蔵、戦後は野田寿雄(ひさお)、暉峻康隆(てるおかやすたか)、田中伸らによって分類が試みられた。次にあげる野田寿雄の分類などが妥当といえよう。(1)教義教訓的なもの 朝山意林庵(あさやまいりんあん)の『清水(きよみず)物語』(1638刊)、辻原元甫(つじはらげんぽ)の『智恵鑑(ちえかがみ)』(1660刊)。(2)娯楽的なもの 三浦為春の『あだ物語』(1640刊)、浅井了意の『御伽婢子(おとぎぼうこ)』(1666刊)。(3)実用本位のもの 中川喜雲の『京童(きょうわらべ)』(1658刊)、浅井了意の『江戸名所記』(1662刊)。
仮名草子は種類が多様多岐であり、内容も文学性の希薄なものが多いことから、従来は過渡期の文学ということで西鶴研究の階梯(かいてい)として付随的にみる傾向が強かった。作品個々の研究、作者の研究、周辺との関連など残された課題は多いが、今日ではむしろ、未成熟ではあるが仮名草子の多様な性格のなかに、あるいは仮名草子を支えた基盤のうちに、近世文学全般の源流や胎動萌芽(ほうが)を積極的にみていこうとする姿勢が定着しつつある。
[坂巻甲太]
『前田金五郎・森田武校注『日本古典文学大系90 仮名草子集』(1965・岩波書店)』▽『神保五彌他校注・訳『日本古典文学全集37 仮名草子集・浮世草子集』(1971・小学館)』▽『市古貞次・野間光辰編『鑑賞日本古典文学26 御伽草子・仮名草子』(1976・角川書店)』