仁田忠常(読み)にったただつね

精選版 日本国語大辞典 「仁田忠常」の意味・読み・例文・類語

にった‐ただつね【仁田忠常】

鎌倉初期の武将伊豆国(静岡県)の人。仁田(にたんの)四郎と称した。源頼朝挙兵以来仕え、平氏討伐・奥州征伐に活躍。曾我兄弟仇討ちで、曾我十郎祐成を討ち、猪にとび乗った逸話で知られる。頼家と北条時政対立に巻き込まれて殺された。建仁三年(一二〇三)没。

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デジタル大辞泉 「仁田忠常」の意味・読み・例文・類語

にった‐ただつね【仁田忠常】

[?~1203]鎌倉初期の武将。伊豆の人。通称仁田四郎にたんのしろう源頼朝に仕え、範頼に従って平氏を追討。また、富士の巻狩り曽我十郎祐成を討った。のち、将軍頼家北条時政争いに巻き込まれて殺された。

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改訂新版 世界大百科事典 「仁田忠常」の意味・わかりやすい解説

仁田忠常 (にったただつね)
生没年:?-1203(建仁3)

鎌倉初期の武士新田とも書く。伊豆国の住人。源頼朝の伊豆挙兵以来,これに従って頼朝の信任を得る。1203年の北条時政と将軍源頼家の外戚比企能員(よしかず)の対立に際して,忠常は時政にくみしたが,時政による比企氏謀殺を憤った頼家は,和田義盛と忠常に時政追討を命じた。義盛はこれに応じず,時政に内通したが,忠常はあいまいな態度を示したため,疑われて時政に滅ぼされた。
執筆者:

曾我物語》巻八〈富士野の狩場への事〉によって,頼朝の面前で猪に逆さまに乗ってしとめたという忠常の勇猛ぶりは知られているが,この猪は実は山神であり,そのたたりで忠常はいくほどもなく謀反の疑いをかけられ,討たれたとある。《曾我物語》成立の動機に,曾我の十郎,五郎の荒ぶる霊(たたり)を鎮める鎮魂の意図があることは明らかであるが,史実とは異なる忠常の死についてのこのような伝承も,《曾我物語》全体を通してうかがえる御霊(ごりよう)信仰との関係で改変されたものであろう。なお巻九〈十郎が打死の事〉には,工藤祐経を討ち取った十郎を,忠常が一騎打ちで討ち取るところが描かれている。これは《吾妻鏡》建久4年(1193)5月28日条にものる史実ではあるが,先の猪(山神)を葬ったのと併せて,十郎を討ち取ったのが忠常であることを考えると,忠常の不慮の死は,十郎のたたりの結果生じたものとして伝承世界の中で書き変えられたといえよう。室町末期の成立といわれる《富士の人穴》の草子には,将軍頼家の命を受けた新田(仁田)四郎忠綱(忠常)が,富士の御神体である浅間権現の案内で,穴中地獄にかたどられた富士の人穴を見て回るという構成になっている。〈穴中地獄の様子を語るな〉と権現からいわれながら,禁忌を破って頼家に語ったために忠綱は命を失う。忠綱という人物は,伝承世界の中では顕冥二界にまたがる媒介的な存在であり,したがって巫覡(ふげき)の徒に担われて流布したものであろう。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「仁田忠常」の解説

仁田忠常

没年:建仁3.9.6(1203.10.12)
生年:仁安2(1167)
鎌倉前期の武士。新田とも書く。四郎と称す。工藤,狩野と同族。伊豆仁田郷(静岡県函南町)の住人。治承4(1180)年,源頼朝の挙兵に加わり,西国の平家追討で活躍,奥州征討に参加,頼朝の上洛に供奉した。頼朝の巻狩にはしばしば射手を務め,富士の巻狩で乱入した曾我祐成を討つ。忠常の大病を頼朝自ら見舞うなど信任が厚かった。妻はその平癒祈願をした伊豆三島神社へ参詣の途中溺死,貞女といわれた。源頼家の近習に用いられ,建仁3(1203)年の比企氏の乱で比企能員を討つ。これを怒った頼家は事件の黒幕北条時政の追討を忠常に命じたが,弟忠時らの誤解もあって北条氏に討たれた。富士の人穴の探検などエピソードが多い。

(湯山学)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仁田忠常」の意味・わかりやすい解説

仁田忠常
にったただつね

[生]?
[没]建仁3(1203).9.6. 鎌倉
鎌倉時代初期の武士。伊豆国御家人。新田四郎忠常ともいう。源頼朝が挙兵したときはせ参じた一人で,以後頼朝の側近として仕え,元暦2 (1185) 年3月範頼に従って鎮西各地に転戦。建久4 (93) 年5月曾我兄弟の襲撃のとき,十郎祐成を斬った。建仁3 (1203) 年北条時政の命により,比企能員 (よしかず) を暗殺し,その一族を攻め滅ぼした。頼家の命で時政を除こうとしたが,露見して逆に加藤景廉に殺された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仁田忠常」の解説

仁田忠常 にった-ただつね

1167-1203 平安後期-鎌倉時代の武士。
仁安(にんあん)2年生まれ。源頼朝に挙兵時からしたがい,信任される。建久4年富士の巻狩で曾我祐成(すけなり)(十郎)を討ちとった。建仁(けんにん)3年北条時政の命で比企能員(ひき-よしかず)を討ったが,将軍頼家に時政追討を命じられ,同年9月6日北条氏に殺された。37歳。伊豆(いず)仁田郷(静岡県)出身。通称は四郎。姓は「にたん」ともよみ,新田ともかく。

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