仁位郡・仁位郷(読み)にいぐん・にいごう

日本歴史地名大系 「仁位郡・仁位郷」の解説

仁位郡・仁位郷
にいぐん・にいごう

仁位郡は鎌倉末期より江戸時代中期にかけてみえる郡で、対馬八郡の一つ。よこ浦を除く現豊玉とよたま町域に比定され、遺称地が残る。対馬島の中央部を占め、浅海あそうの北側に位置する。郡名の異表記は爾伊郡などがある。仁位湾岸のハロー遺跡赤崎あかさき遺跡・唐崎からさき遺跡・シゲノダン遺跡、東海岸の観音鼻かんのんばな遺跡などでは倭国産および舶載の土器・青銅器を併用、「魏志倭人伝」にいう南北市糴する島民の姿を想像させるものがある。仁位は三根みねと並ぶ主要な弥生遺跡が集中した地で、同書に記された対馬国の大官卑狗は弥生時代中期・後期初頭は三根にいたが、同後期中頃から仁位に移ったと考えられる。また「延喜式」神名帳の上県郡一六座のうちとしてみえる和多都美わたつみ神社・波良波はらは神社・大島おおしま神社や、また島御子しまのみこ神社などに比定される古い祭祀などがあり、古代の主要な拠点であった。こうした歴史的背景のほか、「和名抄」記載の上県かみあがた郡五郷の配置では三根郷の南が大きく空くことから、「和名抄」などに記載はないものの、仁位郷が設定されていたとする見解がある。「玉勝間」は「和名抄」で仁位郷が脱簡しているとし、「日本地理志料」はこれによってその郷域を現豊玉町から美津島みつしま町北東部の船越ふなこし地区までとする。この郷域は上県郡・下県郡の境に配慮がなく、船越が「和名抄」にみえる下県郡玉調たまつき郷に比定されることから、いささか拡大しすぎの感がある。この玉調郷を充てる説も「津島紀略」以来行われているが、古代にあっては(おそらく中世末か近世初頭まで)仁位は上県郡であることから、現在では説得力をもたない。さらに「和名抄」の上県郡向日むかひ郷を何日・爾日・而日の誤記として当地に比定する説もある(旧社考・対馬島誌)。対馬では中世の八郡が古代の郷名を継承した例が多いことも、古代の仁位郷を想定させる根拠となっている。江戸時代中期以降は対馬八郷の一つとして仁位郷と改める。

〔仁位郡〕

正中二年(一三二五)五月一三日の宗宗慶知行宛行状(仁位郷判物写、以下断りのない限り同判物写)に「対馬島爾伊郡」とみえ、郡内の「わいた」(現豊玉町)の畠地が浄然に宛行われ、元徳四年(一三三二)「爾伊郡」の田所職が某に与えられた(同年九月八日「維礼書下」与良郷宗家判物写)。正慶二年(一三三三)「にいのこをり」の「たけをときのあさくらのあけまにし」の木庭下作職を田五郎に宛行うことを爾伊郡沙汰人の山上左衛門亮に伝えている(同年四月一六日宗宗慶宛行状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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