人見 勝太郎(読み)ヒトミ カツタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「人見 勝太郎」の解説

人見 勝太郎
ヒトミ カツタロウ


肩書
茨城県令

本名
人見 寧

生年月日
天保14年9月16日(1843年)

出生地
京都

経歴
京都二条城詰め鉄砲奉行組同心の子として城内に生まれ、剣術砲術や儒学を学ぶ。のち徳川義軍遊撃隊に加わり、遊撃隊長にもなる。明治元年冬に榎本武揚総裁とする蝦夷共和国政府が成立したときには松前奉行を務めた。9年七等判事として司法省に出仕し、間もなく内務省に転じる。13年茨城県令に任じられ、5年4カ月にわたりその地位にあって腕をふるった。退官後も利根運河会社社長、台湾樟脳会社設立発起人などを歴任

没年月日
大正11年12月

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

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