人民戦線戦術(読み)じんみんせんせんせんじゅつ

世界大百科事典(旧版)内の人民戦線戦術の言及

【コミンテルン】より

…たしかに翌年の大恐慌の到来によってこの診断の正しさは立証されたものの,闘争目標に関する処方箋は,現実との対応関係を見失ったものであり,ドイツではナチズムの制覇を結果的に助けることにしかならなかった。
[反ファシズム人民戦線戦術]
 ナチス・ドイツの出現とともに,ソ連は西欧民主主義諸国への接近を強めることになったが,コミンテルンのレベルではすべての非ファシズム勢力の結集が追求された。1934年にまずフランスで実行され,翌35年夏,コミンテルン最後の大会となった第7回大会で採択された人民戦線戦術がそれである。…

※「人民戦線戦術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」