人民共和派(読み)じんみんきょうわは(英語表記)Mouvement républicain populaire

改訂新版 世界大百科事典 「人民共和派」の意味・わかりやすい解説

人民共和派 (じんみんきょうわは)
Mouvement républicain populaire

フランスカトリック民主主義系政党MRP略称。第三共和政期の人民民主党,青年共和派などの流れを汲み,第2次世界大戦下,対ドイツ・レジスタンス運動に参加したカトリック系の諸潮流の人びと(ドイツ軍に殺されたG. ドリュのほか,G. ビドー,P.H. テートジャン,R. シューマンら)により,フランス解放後の1944年11月,M.サンニエを名誉総裁として結成戦後の新政党として新しい中道民主主義を唱え,労働運動におけるフランス・キリスト教労働同盟(CFTC)の活動とあいまって,第四共和政期の政治に中心的役割を担った。45年戦後最初の議会選挙で共産党社会党とともに三大勢力の一つとなる。ド・ゴール首相が議会と対立して政権から退いたのち(1946年1月),いわゆる三党政治の一翼を担い,46年6月選挙では第一党となり,ビドー内閣の下で第四共和政憲法を成立させる。しかし,戦後の経済困難やインドシナ戦争の開始(1946年12月),さらに冷戦の進行により,三党政治は解体した。以後MRPはしばしば政権を担当し,とくにR.シューマンを中心的推進者としたヨーロッパ統合政策はのちのヨーロッパ共同体(EC)の先駆となった。しかしフランスはインドシナ戦争,アルジェリア戦争をはじめ内外の困難に絶えざる政権交代を繰り返し,中道政治を目指すMRPは政治の左右への動揺の中で指導力を示すことはできなかった。1958年第五共和政発足とともに,MRPは勢力を衰退させ,65年ド・ゴールに対抗して大統領選挙に出馬して敗れたJ.ルカニュエは,同年12月中道勢力の再結集を図って民主中央派を結成。以後も再編を繰り返し,MRPは67年にはほぼ政党としての活動を停止した。キリスト教民主主義の流れは,おもに76年に結成された民主社会中央派(CDS)に受け継がれている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人民共和派」の意味・わかりやすい解説

人民共和派
じんみんきょうわは
Mouvement Républicain Populaire; MRP

フランス中道派諸政党の1つ。 1944年にナチスに対するレジスタンス派の一派である G.ビドーなどキリスト教徒 (カトリック) の民主派が創立した。 45年の制憲議会の初の総選挙で保守派の票を集め第2党となり,共産党,社会党と肩を並べ,46年6月の総選挙では第1党に躍進した。制憲議会や第四共和政の1,2年は大政党であったが,47年 C.ドゴールがフランス国民連合を結成し,明確な右派政党として出現すると,保守派が支持勢力から脱落し,左右両政党に挟撃される中道諸派の政党の1つに転落した。 67年9月全国委員会の決定で「思想クラブ」,キリスト教民主主義研究グループとなり,事実上解散した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「人民共和派」の解説

人民共和派
じんみんきょうわは
Mouvement Républicain Populaire

1944年,反ナチス−レジスタンス派のカトリック教徒が結成したフランスの中道派政党。略称MRP
第四共和政下の指導的政党となったが,ド=ゴール派の進出によって衰退し,1966年民主中道派(CD)に再編成された。1976年中道民主進歩派と合体して,現在は民主社会中道派(CDS)と称する保守政党となっている。

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