人情紙風船(読み)ニンジョウカミフウセン

デジタル大辞泉 「人情紙風船」の意味・読み・例文・類語

にんじょうかみふうせん〔ニンジヤウかみフウセン〕【人情紙風船】

山中貞雄監督による映画題名。昭和12年(1937)公開江戸時代の貧しい長屋を舞台市井の人々の暮らしを描く。出演河原崎長十郎、霧立のぼるほか

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「人情紙風船」の意味・わかりやすい解説

人情紙風船
にんじょうかみふうせん

日本映画。1937年(昭和12)、山中貞雄(やまなかさだお)監督。縄張り荒らしでやくざに追われる新三(中村翫右衛門(なかむらかんえもん)、1901―1982)は質屋の娘を誘拐する。一方、浪人海野(河原崎長十郎(かわらざきちょうじゅうろう)、1902―1981)の仕官の努力は報われない。誘拐は海野の協力で成功するが、新三はやくざに決闘を申し込まれる。海野は妻の無理心中に巻き込まれて命を落とす。暗さや厭世(えんせい)観が指摘される本作だが、葬儀の宴での長屋住人の明るさ、痛い目に遭(あ)っても屈しない新三の反骨心といった市井の人々の逞(たくま)しさが活写されている面も看過できない。名作の誉れ高いが、山中の監督作の数少ない現存作品という点でも映画史的に重要である。封切日に召集令状を受けた山中は、本作が遺作になることを嫌ったが、翌年、中国で病死したため本作が遺作となった。

[石塚洋史]

『『世界の映画作家31 日本映画史』(1976・キネマ旬報社)』『『映画史上ベスト200シリーズ 日本映画200』(1982・キネマ旬報社)』『佐藤忠男著『日本映画史1、4』増補版(2006・岩波書店)』『猪俣勝人・田山力哉著『日本映画作家全史 上』(社会思想社・現代教養文庫)』『文芸春秋編『日本映画ベスト150――大アンケートによる』(文春文庫ビジュアル版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「人情紙風船」の意味・わかりやすい解説

人情紙風船 (にんじょうかみふうせん)

29歳でこの世を去った山中貞雄監督の最後の作品で,河竹黙阿弥世話物翻案,映画化した時代劇の長屋物の名作。1937年製作。《街の入墨物》(1935),《河内山宗俊》(1936)に次いで前進座と3度目のコンビを組み,〈鳴滝組〉以来の盟友三村伸太郎の脚本によってつくられた〈ちょんまげをつけた現代劇〉の一つの頂点で,当時の劇場で配付したパンフレットには,〈黙阿弥の《梅雨小袖昔八丈》に取材しての《人情紙風船》はちょん髷をつけた現代劇だ! 髪結新三や弥太五郎源七,それに白子屋お駒達は現代を呼吸する。《街の入墨者》を凌ぎ,《河内山宗俊》を越える山中貞雄・前進座映画の決定版! 殺人と猟奇と情痴のうづまく江戸のごみ溜に挑む名匠山中貞雄の野心作! 日本時代劇の最高峰!〉という惹句(うたい文句)が記されている。髪結新三の役を演じた中村翫右衛門の証言によれば,紙風船が溝に落ちて流れていくラストの印象的なシーンにはっきりと見られるように,山中貞雄はフランス映画《ミモザ館》(1934。ジャック・フェデル監督)をこの作品の下敷にしていたという。
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