人吉市(読み)ヒトヨシシ

デジタル大辞泉 「人吉市」の意味・読み・例文・類語

ひとよし‐し【人吉市】

人吉

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日本歴史地名大系 「人吉市」の解説

人吉市
ひとよしし

面積:二一〇・七七平方キロ

県の南東部に展開する人吉盆地の西部を中心とし、市北部を球磨川が東西に貫流し、支流の山田やまだ川、万江まえ川などが北から、むね川などが南から合流、それらの河川沿いに平坦地が開けるほかは、概して山地である。北は球磨郡山江やまえ村、南は宮崎県えびの市と鹿児島県大口おおくち市、東は球磨郡相良さがら村と同郡にしき町、西は同郡球磨村に接する。

〔原始・古代〕

縄文時代の遺跡は球磨川の各支流の流域、および沖積平野に突き出た周辺台地上に主として分布する。前者の例として、万江川流域の上原田かみはらだ馬草野の後田まそののうしろだ、同町牛塚うしつか、胸川流域の東間上ひがしあいだかみ町、木地屋きじや成石なるいし等々の遺跡があり、後者としては願成寺がんじようじ石清水いわしみ城本しろもと町の村山むらやま台地などがある。時代的にも縄文早期から晩期の全期間の遺跡がそろっている。弥生時代の遺跡としては、下原田しもはらだ荒毛あらけで弥生時代中期初頭の土器が出土したのをはじめ、同町小園こぞのからは免田めんだII式(同後期)の土器と石包丁が出土、北泉田きたいずみだ町の人吉高校校庭から大正年間に石包丁が出土しており、すくなくとも弥生時代後期には水稲耕作が開始されたことを証明している。

古墳時代は前―中期を表す、いわゆる高塚古墳の築造はみられない。そのかわりに鹿児島県西北部を中心に、宮崎県西部、熊本県南部(天草・葦北・球磨)に特徴的に分布する、俗称ハヤトの墓とよばれる地下式板石積石室墓が、荒毛・小園から発見されており、「日本書紀」などにいう熊襲の勢力圏内にあったことを示唆している。しかし、古墳時代の後半期になると他地域と同様の横穴群が、城本町や、七地ひちち町に出現し、なかでも大村おおむら横穴群は装飾を有する一級のものである。おそらく古墳時代後期までに、大和朝廷の支配下にはいり、郡内各地に小豪族が成長したと考えられる。「和名抄」に球磨六郷の一つとして人吉郷がみえる。なお下原田町嵯峨里さがりに条里遺構を求める説もある。平安時代末期には平家領の荘園が成立していた。

〔中世〕

建久八年(一一九七)閏六月日の肥後国球磨郡田数領主等目録写(相良家文書)によれば、蓮花王院を本家とし、鳥羽院の子内親王を領家とする総田数六〇〇町の人吉庄が成立しており、在地の荘官として、人吉次良以下数名の開発領主が確認される。現在の市域の大部分は、この人吉庄に属したと思われるが、建久二年五月三日の良峯師高所領譲状案(平河文書)によれば、原田はらだ大柿おおがき(現中神町のうち)中神なかがみ永吉ながよし庄に属した。

近世の史書などによれば、建久九年遠江国相良さがら(現静岡県榛原郡相良町)を本貫地とする相良一族の長頼が、人吉庄地頭として入部したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人吉市」の意味・わかりやすい解説

人吉〔市〕
ひとよし

熊本県南部,人吉盆地にある市。 1942年人吉町と藍田 (あいだ) ,西瀬 (にしぜ) ,中原 (なかはら) の3村が合体して市制。中心市街地の人吉は,鎌倉時代初頭に相良氏地頭職となり,人吉城に入って以来,その城下町として発展。人吉城跡 (史跡) や願成寺 (がんじょうじ) ,重要文化財の社殿をもつ青井阿蘇神社,城本 (しろもと) 町に大村横穴群 (史跡) などがある。球磨地方の中心で,小京都といわれ,古い町並みが美しい。球磨川中流にのぞんで,かつては河港の機能をもった。木材,茶,シイタケなど農林産物の集散地。製材,焼酎 (球磨焼酎) 製造などが行われ,農村地域ではタバコ,クリ,乳牛,肉牛,ブタを産する。銘木市,釣竿は有名。人吉温泉があり,球磨川下りが行われる。 JR肥薩線,国道 219号線,九州自動車道が通る。面積 210.55km2。人口 3万1108(2020)。

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