交通(読み)コウツウ

デジタル大辞泉 「交通」の意味・読み・例文・類語

こう‐つう〔カウ‐〕【交通】

[名](スル)
人・乗り物などが行き来すること。通行。「交通のさまたげになる」「交通止め」
運輸機関・通信機関により、人・物資などの輸送・移動をすること。「交通の要衝」「交通の便がよい」「海上交通
人と人とのつきあい。意思の伝達。
[類語](1通行往来往還行き交い行き来走行運行運転走る通る/(2運輸輸送通運陸運海運水運空輸

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改訂新版 世界大百科事典 「交通」の意味・わかりやすい解説

交通 (こうつう)

人や物の空間的移動をさし,広義には情報の伝達である通信を含めるが,人や物の移動は運輸,輸送あるいは運送などと呼んで,通信と区別することが多い。

人はそれぞれ生活の場をもつ。農耕民族のように一定の場所に定着している場合もあれば,遊牧民族のように場所を転々と変える場合もある。たとえ定着していても,仕事や遊びのためには繰り返し出歩かなければならない。また増えた人口のための食糧を求め,新しい定着の場所へ民族ごと大移動する場合もある。しかし移動したいと望んだとき,移動のために必要な条件が整っていなければ,すぐ移動できるとはかぎらない。したがって〈移動できる能力(モビリティmobility)〉の有無が,人の生活に大きな影響をもたらす条件であることは,昔も今も同じである。

 最初の人類にとってモビリティとは歩くことであり,荷物は腕で抱えるか,頭や肩に乗せて運ぶ以外に方法がなかった。つづいて最初の運搬道具として,陸上では丸太を並べてその上をころがすことや,橇(そり)が用いられた。水上では丸木舟やいかだから始まって,大きな舟が使われた。古代エジプトやバビロニアでは,すでに運河が造られ,帆を用いる船が使われていた。海という通路と風という自然の力を使う帆船は,古代オリエント社会でもっとも便利な交通手段であった。紀元前600年ごろ,地中海には帆と櫂(かい)を使った軍船(ガレー船)が往来した。また沿岸の港から港を走る商船によって人が運ばれ,エジプトからローマへ貢ぎ物が運ばれた。陸上では,馬やラクダが動力を内蔵した運搬具として使われるようになると,遠距離の交易が可能となった。隊商を組んだ人々の手によって,中国の絹やインドの香料,綿布がギリシア,ローマの人々の手に渡り,西方からは金貨,ガラス製品,毛織物が東方へ送られた。その通路としてのシルクロードの名前はよく知られている。物資ばかりでなく,宗教,思想,芸術などもここを通る人々によって伝えられ,シルクロードは東西文化交流の道となった。

 北の草原ルートにしても,中央のオアシス・ルートにしても,シルクロードが自然に踏み分けられた道であったのに比べると,ローマ道ローマ帝国が得意の土木技術と膨大な労働力とを用いて築いた人工の道であった。約9万kmといわれるこの道路網を利用して,ローマ帝国はその勢力を維持することができた。しかしローマ帝国が滅んでからローマ道はそのままに放置されたので,中世ヨーロッパの人々の陸上のモビリティは低かった。

 日本では大化改新以後,京から五畿七道にわたって放射状に官道が設けられ,30里(後世の約4里で,約16km)ごとに駅がおかれ,駅制が整えられた(駅伝制)。これらの道を通って,地方から中央へ布,綿,海産物などの貢ぎ物が送られ,都と地方との間を国内統治の任務を帯びた役人たちが往来した。しかし一般の人々にとって旅をすることは,かなり困難なことであった。鎌倉時代になると,〈いざ鎌倉〉に備えて街道が整えられたが,こうした軍事用の道路はまた年貢米や公事の輸送に伴う人馬の往来に使われた。市の発達につれて,物資の輸送を行う業者も現れた。当時,鎌倉から京都まで,飛脚なら7日,一般の人は14日を必要とした。戦国時代になると,各領内の道路は改築されたが,他領との境は防備のため,むしろ荒れるにまかされた。海上交通では,7世紀から9世紀にかけて十数度にわたって遣唐使が派遣され,中国文化の輸入が盛んに行われた。9世紀には唐商船が日本に来航し,室町時代には遣明船が派遣されて貿易を行った。

 西欧では,8世紀から11世紀にかけてバイキングが船による奪取を繰り返しながら,近隣諸国に植民した。12世紀に羅針盤が航海に用いられるようになり,航海術が進むと,海上交通の範囲は急速に広がった。船はマストの数を増やし,四角や三角の帆を用いた。北海およびバルト海沿岸の交易都市が提携したハンザ同盟のにぎわいも,中世後期のイギリス経済の発展も,ともに航海技術の発達によるところが大きい。サンタ・マリア号によるコロンブスの新大陸発見(1492),バスコ・ダ・ガマによる喜望峰回りのインド洋横断(1497-99),マゼラン一行による世界周航(1519-22)によって,大型帆船は大航海時代の主役となった。この時代の航海はヨーロッパ各国の国策として推進され,海外貿易によって金銀貨幣の増大を図ろうとする重商主義政策を生んだ。

イギリスの産業革命の原動力の一つとなった蒸気機関の発明は,19世紀に入ると,それをレールの上の車を走らせることに応用したトレビシックやG.スティーブンソンによって,鉄道という新しい交通機関の誕生となった。鉄道は建設と輸送の両面から,産業革命をいっそう進展させる役割を果たした。18世紀までのイギリスでは3200kmに及ぶ運河が造られ,内陸の輸送はもっぱら船を利用して行われてきたが,鉄道は運河に代わり19世紀の陸上交通機関としてもっとも信頼されるものとなった。アメリカでも19世紀初めまで運河が広く一般に利用されていたが,1830年代以降は鉄道が運河と激しい競争をしながら,各地に建設され始めた。1869年,大陸横断鉄道が完成して,西部のカリフォルニアが中部,東部と結びつけられた。幌馬車時代に1年間かかった大陸横断は1週間に短縮された。新橋~横浜間に日本初の鉄道が敷かれたのはその3年後の72年(明治5)であった。

 1807年フルトンによって蒸気機関を利用した汽船が初めて利用されるようになった。1840年代になると,大西洋に定期船が就航し,大西洋横断のスピード競争が始まった。しかしスピードの点では,当時はまだ帆船のほうが優位にたっていた。17世紀から18世紀にかけて海上で覇権を争う海戦に勝利を得るため,帆船技術が著しく進歩したからである。中国の茶,オーストラリアの羊毛を欧米の市場にできるだけ早く運ぶ快速帆船は,それぞれティー・クリッパー,ウール・クリッパーと呼ばれた。〈時間をはさみで切り落とすように短縮する〉という意味の〈クリッパーclipper〉には,輸送にかかる時間はできるだけ少ないほうがよいというモビリティの性格がよく表れている。しかし風を動力として利用する交通手段は,19世紀後半,エンジンを動力とする交通手段に道をゆずった。

 日本では,江戸時代に入って東海道に五十三次(駅)が設けられ,中山道,日光道中,甲州道中,奥州道中という幹線道路が定められた。これらの街道は公用の輸送が主であり,民間の輸送にはおもに脇街道や河川,沿岸が利用された。しかも幕府の方針として,軍事上の配慮から主要な河川に橋をかけることを許さなかったため,大きな川は人の肩によって渡るほかなく,交通は著しく不便を強いられた。それでも19世紀前半の文化・文政年間(1804-30)になると,旅がようやく庶民のものとなり,社寺詣や遊山に出る人が多くなった。しかし交通の手段は徒歩,駕籠(かご),馬が主体で,西欧と異なり馬車は使われなかった。海上交通では和船が盛んに利用された。大坂と江戸の間の貨物輸送には,菱垣(ひがき)廻船樽廻船が活躍した。これらの船が輸送業者(廻船問屋)による定期船であったのに対し,北陸や東北から大坂までやってくる北前船(きたまえぶね)は,商人みずからが船主であった。また河村瑞賢が東北から江戸に至る東廻航路,西廻航路の整備,開拓を行った。こうした航路によって,全国的な貢租米輸送のしくみが形づくられ,大坂,江戸がその中心となった。

 20世紀は,鉄道や汽船に加えて,自動車と航空機がめざましく登場する時代である。1885年,ドイツのベンツとダイムラー,イギリスのE.バトラーによって,内燃機関を動力とするガソリン自動車がほとんど同時に造られた。蒸気機関を車に搭載した蒸気自動車は馬車に代わるものとして,人々の関心を集めてきたが,そのわずらわしい操作や騒音などのため,内燃機関をのせた自動車が現れるとその影がうすれた。とくに1908年,アメリカで造られたT型フォードは操作が簡単でじょうぶであり,大量生産によって価格が安かったため人々の人気を呼び,その後19年間に1500万台が売られた。車の動力が人力や馬力からエンジンによって回るモーターになることを意味する〈モータリゼーション〉は,まさにT型フォードによって始まった。鉄道も20世紀に入ると蒸気機関車に加えて電気機関車,電車,ディーゼル車が普及し,技術の進歩とともに高速輸送の能力を高めた。しかし鉄道が駅から駅までのレール上を走る〈線〉の交通機関であるのに対し,自動車は自分の家の前から目的地まで自由に走り回ることのできる〈面〉の交通機関である。自動車のこの特徴は,20世紀になって道路の改良が進むとともにますます発揮されるようになり,人々のモビリティを高めるうえで大きな貢献をした。

 人はいつでも,どこへでも行けるモビリティを確保すると,次にはできるだけ速く,できるだけ快適に移動することを望むようになる。速度の点で他の交通手段を寄せつけないのが,飛行機であった。空を飛ぶ交通手段としては,飛行機が実用化される前に飛行船が登場したが,1937年のヒンデンブルク号の爆発を最後に大陸間を結ぶ輸送を行う姿は見られなくなった。1903年ライト兄弟が空気より重い飛行機で36mの初飛行に成功した。イタリア・トルコ戦争(1911-12)で初めて軍用に使われた飛行機は第1次世界大戦で本格的に使用され,軍事利用が飛行機の性能を著しく向上させた。第1次大戦後,余った軍用機で郵便輸送を始めたのが,航空輸送業の始まりである。高速でしかも安全な航空輸送は,〈空のT型フォード〉といわれたダグラスDC3の登場(1935)によってもたらされた。最大32人乗りのDC3は1万1000機製造され,1930年代に世界を飛んだ旅客機の90%を占めた。

 19世紀末に,蒸気を羽車に吹きつけてシャフトを回転させるタービンエンジンが発明されて,汽船のスピードが向上した。1909年モレタニア号Mauretania(3万1938総トン)は大西洋を4日半で横断した。12年の処女航海で1513名の犠牲者を出した悲劇のタイタニック号(4万6328総トン),1938年大西洋横断を3日と21時間に短縮したクイーン・メアリー号(8万1235総トン),〈人間の造った最大の機械〉といわれたクイーン・エリザベス号(8万3673総トン)と大型・高速の客船が相次いで建造され,20世紀前半は豪華客船の黄金時代となった。

第2次大戦後,モータリゼーションの波は世界各地に及び,交通機関としての自動車の重要性はさらにました。とくにトラックは鉄道がかつて運河輸送を圧倒したように,鉄道貨物輸送を大きく後退させた。自動車の普及によって鉄道は,経済性からみて需要の少ない地域では,その事業から撤退するところが増えた。しかし大都市圏では,むしろ鉄道の輸送力を増強するための投資が行われている。また300~500km程度離れた都市間の高速輸送も鉄道の得意とするところで,1964年には東海道新幹線が中・長距離大量高速輸送の手段として登場した。新幹線は世界の鉄道に刺激を与え,フランスのTGVなどの高速列車が生まれている。大都市では地下鉄が,中都市では路面電車が,市民のモビリティを向上させるのに役だっている。

 海上では,フェリーボート,水中翼船,ホバークラフトなどが新しい需要を開拓した。また造船技術の革新により,短期間に大型船の建造が可能となったため,50万重量tを超える超大型タンカーが出現し,石油輸送の大幅なコストダウンをもたらした。一般の貨物船はコンテナー化に活路を見いだした。1960年代後半,アメリカから始まった海上貨物輸送のコンテナー化は急速に世界に広がり,70年代には国際貨物航路はいずれもコンテナー化された。なお,海上の大型タンカーによる石油輸送に匹敵する陸上の輸送施設として,パイプラインがある。19世紀後半からアメリカで使われ始めたパイプラインは,油田,製油所,消費地の間を結んで石油や天然ガスを輸送する。第2次大戦後,中東で大規模な油田が開発されると,地中海沿岸までの長距離パイプラインが設けられたが,そのほかヨーロッパやロシアでも道路や鉄道輸送に比べるとコストの安い長距離輸送設備として利用されている。

 飛行機は大量輸送によるコストダウンによって,だれでも利用できるようになった。かつて海を越える国際間の旅行に欠かせなかった大型の豪華客船はほとんど引退し,わずかに観光用の巡航船として残っているにすぎない。このことは,19世紀になって鉄道に始まったモビリティの向上が,船,自動車,飛行機に至って,今やその頂点に達していることを示すものである。
運搬 →航海 →航空 →自動車 →水運 → →鉄道 →

人は自分の意思を他人に伝えるために,手紙を書いたり,電話をかけたりするが,直接その人と会って話をすることがもっとも確かである。そのために,人は自分のいる所から相手のいる場所へ移動する。その場所がすぐ近くであれば歩いてでも行けるが,もし距離をへだてていれば,その移動は時間と費用の点で大きな負担になる。しかしその相手に会って用事が済み,満足が得られれば,その移動は払った犠牲以上の効用を生み出したことになる。このように,人が意思を通じ合うために必要とする移動は,なるべく少ない費用で,なるべく多くの効用を得ることが望ましい。また急ぎの場合は,移動にかかる時間ができるだけ短縮されることを望む。このように交通は,距離のへだたりをせばめるためになるべく少ない費用と時間で移動できる〈モビリティ〉の向上をその機能とする。人は歩くことによって,自分の足でこの機能を果たすことができる。しかしモビリティを専門に提供する交通機関を利用すれば,徒歩では得られない,より大きい効用が得られる。移動は通常速ければ速いほどよいとされるが,移動の目的に,美しい風景を眺めたり,気晴しをしたりすることが含まれていると,移動のためにむしろたっぷり時間をかける場合がある。移動がある目的のために行われるのではなく,移動そのものを楽しむような場合,快適さを求める費用はむしろいとわない。観光旅行がそのよい例である。

 人々の生活を支える衣食住に関連する商品は,ほとんどすべてが企業によって供給され,市場を通して入手することができる。企業にとって,生産のために原材料を入手し,販売のため製品を市場へ出荷する際,輸送という機能を欠くことができない。輸送の費用と所要時間とをどこまで切り詰めるかが,生産者にとって経費節約のうえで大事な要素となる。原油を例にとれば,産油国と消費国の距離を縮めることは不可能であるが,その代りに大型タンカーを利用することによって,1バレル当りの平均輸送費用を大幅に低減し,実際に輸送距離を短縮したのと同じ効果をあげている。逆に製油所は大消費地のすぐ近くに立地することによって,製品の輸送距離を短縮し,輸送費用を低減させている。原材料のように大量に生産され消費されるものは,大量に輸送すれば,規模の経済が働いて輸送費用が切り詰められるから,輸送手段の大型化が促進される。一方,日常生活の中で必要となる少量の物品の輸送は,輸送の形も千差万別で,規模の経済が働きにくい。しかし一つ一つは小さくても,それをまとめることによって,費用のかからない輸送が可能となる。このように物の輸送では,集荷,配達,積込み,取卸し,保管,包装などいくつもの機能を組み合わせたシステムが必要とされる。もともと物の輸送は大量に生産された商品をまとめて買い取り,消費者の必要に合わせて小売したり,金融のめんどうをみたりする商業流通と深くかかわり合っていたが,大量生産,大量消費に伴って,物の輸送は,物的流通(物流)システムといわれる新しいしくみを生み出している。

人の移動も物の輸送も,都市や農山村というまとまりをもった地域社会と密接に関連する。産業革命以後,社会を形づくる主役はしだいに農業から工業へ移り,工業化が進展するにつれて,人は村から町へ移り住み,工場地帯の周辺に次々と都市が生まれた。人が行動できる範囲によって都市の大きさはおのずと決まってくるが,交通機関が発達して鉄道や自動車が利用できれば,行動範囲はその分だけ拡大し,都市もまたその地域を広げる。一方,人口が減少している農山村では,生活を維持するのに必要な最低限の交通手段を共同利用の形で存続させるのは困難な事態が生じ,地域としてのまとまりはますます弱くなる。都市への人口移動はやがて先進工業国に巨大な都市や都市圏をつくらせた。都市化が進むと,都市間の交通も増大する。日本では明治以降,それまで経済活動の中心であった大阪と並んで東京が巨大都市に成長した。この2大都市間は約500km離れているが,東海道新幹線やジェット旅客機によって両都市間の移動が容易になると,東海道沿線地域は1日行動圏に含まれることになった。その結果,中間の名古屋を含めてこの地域はちょうど一つの大都市圏のような姿に変わっていった。フランスの地理学者ゴットマンはアメリカのボストン~ニューヨーク~ワシントン間約1000kmの都市群をメガロポリス(巨帯都市)と名付けたが,それにならって,東海道沿線も東海道メガロポリスと呼ばれている。このように交通は地域の成長発展にとって,一つの重要な機能を分担している。

交通の機能には情報を伝えること,すなわち通信もある。紀元前490年,対ペルシア戦でのアテナイの勝利を伝える兵士が,マラトンの戦場からアテナイまでひた走りに走った。江戸時代,浅野内匠頭(たくみのかみ)切腹の知らせは早駕籠の使者によって4日半の後に赤穂に届けられた。通信手段の発達した現在では,昔のように通信だけのために人が移動することはなくなった。その反面,交通通信手段の発達の結果,電話で約束を取りつけ,人と会うこともますます増えてきた。物の輸送についても,売手と買手の間に詳しい正確な情報があれば,むだな輸送が節約されることにもなる。しかしまた,ある市場である商品が高く売れるという情報が,その市場にその商品を集中させ輸送を増やすように,情報と輸送の間には互いに助け合う関係がある。職場と家庭の間が高度な通信回線で結ばれ,職場での仕事が家庭でできるようになる職種の人は,将来通勤する必要はなくなるであろうという見方も生まれている。

輸送は商業機能の重要な部分を占めており,昔は商人が同時に運送人(マーチャント・キャリアmerchant carrier)であった。貿易商はみずから船を保有して航海を行い,貿易を行うことによって多額の利益を得ることができた。しかし市場が拡大し,輸送量が増加するにつれ,輸送を専門とする業者が現れるようになった。18世紀イギリスでは,輸送業者として営業を始める者に公共運送人(コモン・キャリアcommon carrier)としての責任を負わせ,運送を依頼されたなら理由なく断ってはならないこと,依頼者によって不当な差別をしないこと,合理的な運賃で運ぶこと,安全な輸送をすることなどを義務づけた。こうした規制によって,コモン・キャリアは公衆のために共同利用が可能な輸送機関となった。やがて産業が発達すると,専門の輸送業者を利用したほうが輸送の効率が高まるところから,インダストリアル・キャリアindustrial carrierと呼ばれる輸送業者が発展した。インダストリアル・キャリアとは,ある企業が原料,製品などをみずからの手で運送する場合の運送人,あるいは特定の企業に専属する輸送業者である。タンカー,タンク車(鉄道貨車,トラック),自動車運搬車,自動車専用船など,経済活動の発展に伴って,インダストリアル・キャリアの活動領域は拡大している。共同利用のコモン・キャリアから,私的な専用輸送であるインダストリアル・キャリアへ移っていく傾向は,さらに進むと,いわゆるマイカー,プライベート・キャリアprivate carrierの拡大を生む。衣食住などの生活必需品についてみれば,かつてその多くを自給自足に頼っていたが,市場経済の普及した現在では,ほとんどすべて他者の供給に依存するのが通常の状態になった。にもかかわらず,移動については,自家用乗用車が広く普及したことにより,他の輸送機関に頼らず,自給自足する傾向がしだいに強まりつつある。マイカーは営業用や公共用(共同利用)輸送機関と違って,いつでも自分の必要とするときに利用できるという便利さがある。また自分で車を走らせる楽しみは,そのための労苦と費用を度外視するから,交通市場における異端者として取り扱われやすい。

自家用交通のほかに,人は移動や輸送の機能を,専門の交通機関が行う営業活動を利用することによって果たす。交通の需要と供給をめぐって,交通にも市場機構が生まれる。各交通機関がどれくらい利用されたかを示す輸送機関分担率は,その機関の輸送量(通常,旅客では運んだ人数×運んだ距離の単位で,貨物では運んだトン数×運んだ距離の単位で表す)の割合で示される。1994年度における日本国内の総旅客輸送量は1兆3674億人キロで,分担率は自家用乗用車が最大で42.5%を占め,ついでJR17.9%,私鉄11.1%,営業用バス5.4%,航空4.5%,旅客船0.4%などとなっている。総貨物輸送量は5475億トンキロで,内航海運が43.6%を占め,ついで営業用トラック38.7%,自家用トラック13.1%,JR4.5%などである。

 交通市場は一般の市場と異なって,取引の対象がモビリティという即時財であるため,輸送機関同士の自由競争は適度な運賃水準を形づくることにならず,輸送サービスという商品をできるだけ多く売るために運賃値下げによって旅客や貨物を獲得する競争となりやすい。輸送サービスという商品は生産するにあたって最初に膨大な設備投資を必要とするうえ,いったん生産され供給されたからには,直ちに消費者によって購入(利用)されなければ,無形の商品という性格のゆえに貯蔵,保管がきかないからである。19世紀には鉄道同士,相手が経営困難に陥るまで運賃値下げ競争に走る事例がたくさんあったところから,交通市場はだれでも供給者になれる自由市場ではなく,政府による免許制度によって,ある地域内の独占供給者を認めるしくみのほうが,利用者にとっても利点が多いと考えられた。したがって輸送機関が負うべきとされたコモン・キャリアとしての責任も,交通市場における規制も,独占が許されるからには当然のことと考えられた。また安全な輸送,公害を出さない輸送が望ましいが,厳しい規制が行われないと,手抜きをする輸送業者も出てくるから,この面からも交通市場の規制は必要とされている。しかし一般の市場におけるように価格が需要と供給を調節するという機能を,交通市場における規制された運賃に期待することは困難であった。政府が認可する運賃は,インフレ期にはむしろ一般物価の上昇率よりも低く抑制されるから交通企業の経営を苦境に追い込み,デフレ期には企業採算上,運賃値上げを認めることによって,むしろ需要が減少し,かえって経営難を加速することになる。それに対して経営費用を切り詰めさせる刺激は,免許や規制で保護された企業には,自由競争にさらされている企業ほどには働かない。また規制のために必要な行政経費もしだいに肥大を続け,財政を圧迫する要因となる。そこでこれまで当然とされてきた交通市場の規制を緩和することによって,むしろ望ましい効果が期待できるのではないかという考えが生まれてきた。

 アメリカでは第2次大戦後,こうした考え方に従って規制を緩和し,交通市場においても競争による輸送企業の活性化を期待している。イギリスでも交通産業をすべて国有化し,すべてを計画的にやろうとした考え方を近年になって転換し,できるだけ企業によって提供可能なものを拡大する方針をとっている。一方,ドイツでは,鉄道は自動車や航空機との市場競争になじまず,むしろ補完的なものと考えて,連邦鉄道の経営責任を国が負ってきた。日本では,国有国営,公有公営,民営の各交通機関が,欧米に比べればかなり厳しい規制の中で,市場原理に従って経営を行ってきた。しかし自家用の交通手段が全国に普及したため,日本国有鉄道は1987年に分割・民営化され,公営交通事業,民間バス事業などでは欠損が著しく増大し,経営が困難になりつつある。これに対しては,国がもっと政策介入をして規制を強めるべきだという考えと,もっと交通事業に自由にやらせるべきだという考えがある。いずれにしても,交通のために配分できる資源は,有限な資源を有効に配分するという経済のルールから例外として存在することはありえない。
交通政策
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「交通」の意味・わかりやすい解説

交通
こうつう
transportation 英語
transportation フランス語
Verkehr ドイツ語

人あるいは物が、ある地点から別の地点まで移動すること。ことばによって多少のニュアンスの違いはあるが、運輸、輸送、運送ということばで表現されることもある。

 交通は人類の進歩とともにあったといえる。遊牧民族の馬による移動、大航海時代における帆船の利用、産業革命による蒸気機関車の発明、自動車の普及などによって、世界は大きく変貌(へんぼう)を遂げてきた。グローバル化の時代を迎えた現代においては、交通の重要性はますます高まっている。国際競争の死命を制するのは交通であるといっても過言ではない。

 交通は時間と距離を克服するために役だつ手段であり、通常はそれを提供する(供給)側とそれを利用する(需要)側が存在する。交通サービスを提供する側が利用する側から対価(運賃)を受け取り、交通サービスを提供する(徒歩や自転車を除く)。その意味において、交通は通常の商品と同じようにみえるが、その性質は通常の商品とはかなり異なっている。

 第一に、交通サービスはそれ自体を目的として需要されることが少なく、なんらかの他の目的(たとえば会社で働くことや、観光地で遊ぶこと)の手段として需要されることが多い。こうした需要は派生需要とよばれ、目的とする需要(本源的需要)の動向に大きく依存する。第二に、交通サービスの生産と消費は、時間的にも場所的にも一致する。そのため在庫調整をすることができない。たとえば夜間の空いている時間帯に列車をたくさん走らせておいて、朝のラッシュ時間帯にそれらを提供することはできない。この性質は交通において混雑が生じる原因となっている。第三に、交通サービスは自給することが可能である。自家用車の利用がこれにあたる。しかし、交通サービスの自給はすべての人に可能であるわけではない。自家用車の普及による公共交通の衰退は、自家用車を運転できない交通弱者を生み出している。第四に、一部の交通機関を除いて、鉄道や道路、航空などの交通サービスの提供には莫大(ばくだい)な投資が必要である。規模を拡大すればするほど単位当り生産コストを低下させることができる場合があり、その場合には激しい規模拡大競争と運賃競争が行われることがある。激しい競争の結果、独占が生じることがあるし、そもそも投資規模が莫大な場合には、リスクを怖れて民間事業者がサービスを提供できないことがある。

 このように、交通サービスには通常の商品とは違う性質があるために、一般的に交通サービスに対しては、政府や自治体による公的介入が行われることが多い。運賃に関する許認可、民間にかわっての大規模な交通社会資本の整備(空港建設や道路建設)などがその代表的なものである。また交通に関する事故は人命に直結するため、安全に関する規制が多いのも特徴である。そのため、つねに交通サービスへの公的介入のあり方が議論されている。

[竹内健蔵]

諸民族と交通

人、物、情報を空間的に移動させる交通は、人類の出現とともに生まれ発展していった。交通は人間と社会に不可欠なものであって、現在みられる地球上の諸民族の分布も人類の交通の結果とみることができる。人類にとって狩猟採集がおもな生業形態であった時代には、人々は食糧や水などを求めて徒歩で放浪生活をしていた。彼らは野生の動植物に食糧を全面的に依存し、食糧保存技術も未発達だったことから、一定地域の食糧を取り尽くすと必然的に居住地の移動を繰り返さなければならなかった。彼らの生活はほとんどが自給自足で、他集団との物資の交換のための交通はほとんど必要がなかった。やがて農耕牧畜時代になり定住化が進むと、地域と生活共同体との結び付きが強くなり、やがて明確な形の政治権力の確立と領土の概念が生まれ、同時に人口増加に伴って他社会・他民族との接触の機会が多くなる。この過程で空間的広がりを調整する交通が重要な意味をもってくる。まず経済的側面からみると、従来の自給自足的社会から交易が始まり、他に依存する程度が高くなるにつれて交通が発達する。沈黙交易のように接触が最少限にとどめられている場合もあるが、さまざまな地域の物資が集積・拡散する市(いち)が形成されると、その間を結ぶ交易路が生まれる。そのもっとも顕著な例としてはヨーロッパと中国を結んだシルク・ロード(絹の道)をあげることができる。また政治的には、交通は政治権力の浸透と密接な関係がある。交通技術の優れた民族は、しばしば政治的にも優位にたった。モンゴルの遊牧民族であったチンギス・ハンによる広大なモンゴル帝国の建設は、彼らの騎馬交通の威力を示している。同様の例はドイツにもみられる。兵力の集中の困難さから周辺のどの国からも攻められうる弱国であったドイツが、鉄道網の充実を一つの原因として、どの国をも攻撃しうる強国に変貌(へんぼう)したのである。いつの時代でも、ある社会に政治的統合が図られると、中央権力が隅々まで行き渡るように、また貢納品などの運搬のため交通網の整備が行われる。古代ローマ帝国において道は中央と周辺を結び、「すべての道はローマに通ずる」といわれるほどに象徴的意味合いさえもっていた。またインカ帝国の緻密(ちみつ)な街道網と飛脚制度も有名である。交通は拡張されるだけでなく規制される場合もある。自民族と他民族との境界が意識されるようになると、自然的地形を利用したり、城壁などの人為的手段で交通を遮断したり、税を課して通行を制限する。たとえば、漢民族は北方遊牧民の侵入を阻むために万里の長城を築いたし、日本でも江戸時代に幕府の権力保持を目的として主要河川に橋を架けるのを禁止し、大船の築造を制限した。さて、交通手段は、18世紀から19世紀にかけての蒸気機関の発明による交通革命と工業における分業の発達を経て、現在は電気や石油が利用され飛躍的な発展を遂げた。しかしこのような技術的発展をよそに依然として文化的・生態的条件によって多様な手段が諸民族によって利用されている。まず、陸上交通についてはその基本的形態は徒歩である。オーストラリア先住民やアフリカのサン人は現在でも徒歩で移動生活を行っている。さらに犬、牛、馬、ロバ、ラマ、トナカイ、ラクダ、象などの動物を移動や荷物の運搬に利用することも盛んにみられる。馬は機動性に優れ、古くはヒクソスのエジプト侵入に使われるなど、世界各地で重要な交通手段とされた。また、車の発明と畜力をその原動力とすることにより効力が激増し、ヨーロッパでは馬車が19世紀の鉄道の出現まで陸上交通の主力となっていた。一方、水上交通は、15世紀の大航海時代以前から沿岸、内海、河川において盛んに行われている。原初的には浮力を利用した丸太や、現在でもアフガニスタンで利用される皮袋が使われたが、やがて丸木舟、葦(あし)舟、筏(いかだ)舟、そして構造船がつくられる。推進力も櫓櫂(ろかい)から風力を利用するようになり、なかには漂海民のように船を住居とする民族も現れた。

[宇田川妙子]

『衛藤卓也著『交通経済論の展開』(2003・千倉書房)』『杉山武彦監修、竹内健蔵・根本敏則・山内弘隆編『交通市場と社会資本の経済学』(2010・有斐閣)』『竹内健蔵著『なぜタクシーは動かなくてもメーターが上がるのか――経済学でわかる交通の謎』(2013・NTT出版)』

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普及版 字通 「交通」の読み・字形・画数・意味

【交通】こう(かう)つう

往来する。〔史記、武安侯伝〕()夫、文学を喜(この)まず。任を好み、然を已(な)す。の與(とも)にする、豪大猾に非ざる無し。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「交通」の意味・わかりやすい解説

交通
こうつう
transportation

広義には人間,財貨,思想,情報が人間の意思によって陸上,海上,空中を場所的に移動すること。このうち思想,情報の移動伝達のことを通信と呼んで区別し,狭義には人間と財貨とがAという場所からBという場所へ移動する社会的な現象または行動をさす。輸送もしくは運輸の同義語とみなしてよい。交通の手段として交通路,交通機関,交通動力の3要素があげられる。交通の歴史は,より安く,より速く,より安全に移動できるために,交通手段の改善を進めてきた過程である。

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世界大百科事典(旧版)内の交通の言及

【輸送】より

…人や物の移動を指して交通という場合も多いが,ここでは主として,人や物資を人力を含めた運搬手段によって移動することを運輸,輸送として扱い,世界の古代より近代に至る歴史形成において日本,中国,ヨーロッパ,中東を例としながら,輸送がそれぞれの地域でどのように営まれてきたかについて述べる。それはとりもなおさず,各地域の歴史展開の全体像と分かちがたく結びついたものであり,輸送路,輸送手段,輸送業などのありようにかかわってくる。…

※「交通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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