井上聞多(読み)いのうえ もんた

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上聞多」の解説

井上聞多 いのうえ-もんた

井上馨(いのうえ-かおる)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の井上聞多の言及

【井上馨】より

…幕末・維新から明治・大正初年にかけての政治家。財界とくに三井財閥との縁が深い。長州藩士の井上家は田地1町,畑4~5反をもつ100石の地侍であったが,彼は幕末期一時志道(しじ)家の養子となり,のち井上家に復帰。聞多の名は1860年(万延1),藩主毛利敬親(たかちか)の小姓役のとき藩主からもらったものである。号は世外。明倫館に学び,また蘭学,英学,砲術などを修業し,高杉晋作らと尊攘運動に参加した。63年(文久3),藩が馬関(下関)で攘夷実行を行うさなか,藩命で伊藤博文ら4名とともにロンドンへ密航したが,翌64年(元治1),四国連合艦隊の下関攻撃計画を知り,急きょ伊藤と帰国,幕府の長州征伐と連合艦隊攻撃のはざまにあった長州藩のために講和を周旋した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」